こんにちは。WAM河北校です。9月になりました。月初のご挨拶代わりに、と申すと、語弊が有りますが、
先日は不規則な雨降りが続きましたね。気温も徐々に下がり、台風や秋雨前線が蔓延って来る時期ですか
ら、暑さとは別の意味でしばらくはまたお天気と相談ですね。さて、先週は読書の「土台」について、気ま
まに述べました。(述べたつもりだったのですが(汗))そこから、与えられた「情報」や「知識」から、
総合して「自身の考え」を導き出す事について述べたでしょうか?その「考え」は決して「場当たり」や
「感情論」等では無く、「理由」や「根拠」に基づいた「考え」である事が「土台」(前提)である事が重
要です。それでも、幾分かは「直感」の要素もあるでしょうし、自分なりに想像を巡らせた物でもあるでし
ょう。つい昨日なのですが、2つの文面に触れました。一つは、新聞のコラム・・・だとも思います。もう
一つは歌手のアグネス・チャンさんの著書「わたしも僕も地球人」の一説です。一瞬脱線しますが、「アグ
ネス・チャンって誰!?」・・・かはご両親・・・は世代的にギリギリかも知れないので祖父母の方々の方
が良くご存じかも知れません。「ああ~それやったら、水着着とったべっぴんさんの・・・」と言いかけら
れたら、「多分、「そっち」と違うで」と突っ込み返してあげて下さい(笑)・・・では、本題に戻りま
す。私勝手ですが、先述した2つの文面に共通するテーマは、「児童労働の問題」です。日本の、常識ない
しは風土的な雰囲気の観点で申すと、「立場」を問わない労働であれば「高校生から」言い換えれば満15
歳に達した後の3月31日以降の新年度から携わる事が出来る、と言った意識が常でしょうか?(「労働基準
法」内では実際そうです)私もこの文面に触れて、「本当にそうなのか?」と思い、つまり昨日今日で調べ
て初めて知ったのですが、ただ、例外として、「児童の健康及び福祉に有害でなく軽易な業務である場合
は、(中略)満13歳以上の児童を使用する事が出来る(ママ)」とありました。更に、「職種限定で有れ
ば、更に下の年代でも就業可能」と同意の文言が続きます。今現在10代の方は、出来るだけ早い年齢で「働
きたい!」と思うでしょうか?逆に、既に20代以上の方は「出来る事ならもっと若い年代で働きたかっ
た」とも思われるでしょうか?ここで、私が持った疑問を幾つかですが、「有害でない」「軽易な業務」と
言うのはどう定義出来るでしょうか?また、もっと早く「働きたい」「働きたかった」と言う理由は何でし
ょうか?ようやく文面の引用になりますが、世界の5歳~17歳の10人に一人にあたる1億6000万人
が「児童労働者」と定義されているとの事です。その約「7割」が農業で、後はサービス業、工業と続きま
す。以前、「君たちはどう生きるか」について、何度か述べましたが、正に「この内容」と「児童労働の現
状」が繋がります。私達が日頃使ったり、食したりしている物を「作り始め」迄遡ってみると、恐らく多少
なりとも「この子供達」に行き着くのです。少し嫌味な言い方で言い換えると、この子供達を「働かせてし
まっている」のは「間接的」に私達である訳です。ですが、子供達には「働かなければいけない理由」があ
ると言う「矛盾」もあります。同じ労働にしても、「むやみやたら」に「こちら」が消費のスピードを速め
て、子供達を「むやみやたら」に働かせて疲弊させてしまう事と、結果論でしょうが「必要最低限」の物だ
け作って貰い、「合理的」に賃金を得て働いて貰う事は、「違う」と思うのです。個々人の、物(商品)の
回転を、「緩やか」にする方法を出来る範囲で考えて、実行していく必要がもはやあるのでしょうね。そし
て、アグネス・チャンさんの一説からですが、こちらの方はまた、事情が違い「働きたくないけど働かざる
を得ない」子供の場合です。(と私は解釈しました)両親の居ない当時13歳の少年が、朝早くからタクシ
ーの洗車を願い出て、幾分かの日当を得ます。そこは「インド」で、時期によっては気温が40度近くにな
り、場合によっては炎天下でそれを行います。「文章内の言葉」を使った「私なりの見解」になりますが、
何故「お金を貰える」のでしょうか?「客観的」に見て「車を洗うのが上手だから」です。何故、「車を洗
うのが上手にならなければいけない」のでしょうか?でないと「生活する為」の「お金(賃金)を貰えな
い」からです。・・・でも、彼の労働は「違法」なのです。ですが、働かないと幼い兄弟を養っていけない
と言う「矛盾」が有ります。「車一つ丁寧に洗う」事が「命」に関わる・・・日本ではどうでしょうか?こ
じつけの様ですが、彼の場合はさしあたって、「車を上手に洗えない」と「家族」が生きていけないとも言
い換えられるでしょうか?彼の「業種」は恐らく「サービス業」に分類されると思います。私勝手な想像で
「道徳」を謳うつもりでもないですが(汗)、ただ単に車を洗ってお金を貰う、だけでなく、彼の「事情」
故だけでなく、「車を洗うのが上手」であるならば、彼の「人柄」もあると「個人的に」思いたい部分もあ
ります。これも一種の「営業」であるとするならば。このブログを書くきっかけになった方から、「僕はこ
の店から車を買ったのではなく、この人から買ったんだ」と言う逸話をお伺いした事が有ります。正に、
「人柄」なのでしょうね。ですが、根本的な問題はそこでは無く、「労働」は確かに「社会勉強」として大
事ですが、その前にまずは「学校に行かせてあげる事」が大事なのですね。「学校に行かせてあげる事」が
何故大切なのでしょうか?(ちなみに、彼はユニセフの援助で夜間学校に通えたそうです。)「仕事」をす
る以上は、何かを「人並み」に、もしくは「人並み」以上に出来る事が必要でしょう。「論語」ではないで
すが、好きや楽しみが高じて「究める」「極める」レベルにまで行ってしまう方もいらっしゃるでしょうね
(笑)「仕事」をする、「働く」「理由」は人それぞれで、出来れば、出来ればですが、「働きたい」もし
くは「働く」「理由」と言う個人の「軌道」にきちんと乗り沿いした「仕事」が一人でも多く出来れば(出
来ていれば)いいな、と思う次第です。ただその前に基本は「学校」に通う必要が有る、それを何処の国も
優先して考える、転じて、何故「学校」が有るのか?と言う事を考える必要が有る事が大切だと思います。
「給仕ロボット」と言う物最近を始めて経験しましたが、その動きに「愛嬌」を感じてしまいました。機械
的にも関わらず。感じるべきでないのでしょうが、感じてしまいました(汗)。このロボットがいずれ、
「サービス業」の一部になっていくでしょうし、それでも事足らなければ、本当に労働年齢の「引き下げ合
法化」と言う事も、選択肢として挙がってくるかもしれないですし、仮に引き下げられたとして、「働けな
ければ」やはり「意味がない」ですから、例えばですが、「児童労働の問題」を通して、自分が「働く」事
の「理由」や、「働く」前に「学校」が何故あるのか?その意味を再考してみる事が一つの「学び」になる
のではないかと思います。徐々に涼しくなって来ていまので、風邪等ひかず体調にはくれぐれも気を付けて
下さい。