教室ブログ

2022.08.26

【土台】

こんにちは。WAM河北校です。8月も残り5日。朝5時頃はもう薄暗く、少し涼しさも感じる所感です。先

週に引き続き申す形にて、お彼岸まで未だ数週間ありますが、「体感的」には間もなく「秋」ですね。月並

みに「読書の秋」とは言いますが、「読書」は「自分が出来る」と思える「範囲内」で思えば、「いつ」で

も、「どこ」でも出来る行為だと思います。新聞の一面・リード、各学校の過去問題、レポート文、そして

「本」や「資料」と「定義」されている物、他様々、例え1単元1ページでもその学んだ「内容」が「自

身」の「一部」や「糧」になれば、それは結果的に「読書」だった私自身は思います。また、以前も「再

読」について申しましたが、「再読」も「自身の形」としての「理解」に変えて「考え」を「深める」と言

う意味では、やはり大変重要な行為です。先日、アイロニックに今までに色々な方々がそれぞれに読んで来

た「本」を通算の冊数として天に向かって積み上げるイラストが有ります。恐らくですが、「モノ」になっ

た「本」の冊数のみがカウントされ、積み上げられた本の上から、それぞれの見える「景色の違い」を表し

たイラストです。その「景色の違い」として、或る人は目の前の壁の向こうが見えない人、或る人は壁の向

こうが(ようやっと)見える人、或る人は壁をはるかに通り越して、夕焼けが奇麗に映えている海の向こう

が見えている人、また或る人は遥か空の上「天」の景色や後光が拝めている人等、それぞれの「見え方」の

違いが比較されております。その比較に依らず、私自身興味をひかれた「見え方」が有ります。「ある程

度」積み上げられた本の上に恐らく「自分」で「創った」(作ったでは無く「創った」です)であろう「土

台」を積み上げ、「本」では無く「自分」で「創った」「土台」を更に上に積み上げ続けて行く姿の方にむ

しろ興味を惹かれました。お恐らく「本」と言う物である意味の「価値」のバロメーターを測ろうとしてい

るであろうに、「土台」を「自分」で「創って」「積み上げていく」と言う「振る舞い」は、一体何を意味

しているのだろうと思うのです。「知識」や「技術」の「応用」に目覚めたのか?あるいは「基本」や

「型」を身に付けた上で、後は生きる「辞書」・「本」であろう「人間」との関わりだけで既に事足りてい

るという事なのか?果たして何を示唆しているのか?その解釈は見る人に委ねられているのでしょう。

「本」では無く、自分で「創った」「土台」で高い見地を作っているのですから、これも一種のアイロニー

のような気が致します。「読書」のお話だったのに完全に話題から逸れておりますね、すみません。先述し

た「応用」は例えば「ひらめき」

「発想力」「連想力」とも言い換えられると思います。例えば、この様な問題が有ります。8月は終戦月で

す。社会分野からですが、戦時中の原爆被害が「三角州」周辺の町の方が圧倒的に被害が多く、「リアス式

海岸」周辺の町はそれに比べて何故少なかったのか?をその考えられる理由を答えなさい。と言う問題が有

りました。個人的にはかなり古いですが「クイズダービー」を髣髴とさせる問題に感じます。賛否両論有っ

たようですが、私個人は所謂ダービーだけに「出来レース」では無かったと思っております。だって三択問

題以外の問題もたま~にですが、私にでも「的中」させられたのですから(笑)スマホもネットも存在しな

い「昭和」の番組にも関わらず、これだけ、与えられた「情報」や「知識」を(主に問題文からですが)総

合して考えて「答える」クイズ番組は中々無いな、とテレビに対する「皮肉」になりそうですが、

「YouTube」を見てつくづく思う次第です。ヒントは、三角州とリアス式海岸の違いを「比較」すれば恐ら

く「自身」なりの見解を引き出せると思います。例えば県立中学受検予定の皆さん、この様な問題が出るか

ら単純に対策しよう!対策しなければならない!ではダメなんです。何故受検するのか?その「動機」や

「目的」その「理由」も当然大切なのですが、「学校」が「社会」が「どの様な人間」に育ってほしいの

か?もしくはどのように「問題」を「解決」する姿勢を持って欲しいのか?そういった部分を問うていると

思うのです。その一つ前の段階において、「一般教科」の知識を何故一つの「一般教養」として何故学ぶ必

要があるのか?だと思うのです。再来週放送の様ですが、「高校生クイズ」も近年そうですね(笑)もはや

「知っている」

だけではダメなんです(汗)また、「知らない」「知らなかった」事は仕方ないとして、それらよりは「知

ろうとしない」事がむしろもっとダメのような気がします(大汗)マツコ・デラックスさんの「視野を広げ

るってね、どんな状況にあっても知りたいと思う事から始まるんじゃない?まずそれがないのに視野を広げ

るってことだけ言ってもどこにいようが何してようが一緒よ(ママ)。」と言う言葉を拝借しますが、マツ

コさんは、過去「視野を広げる」為の一つの定義として「海外へ行く」事を上げておりましたが、やはり、

「理由」「目的」「動機」が無ければ、「意味」が無い事を仰っておりました。私の所感ですが「行った事

実」だけ残しても「意味」がないと言う事なのだと思います。「読書」と言う行為にもこれはあてはまり、

私自身の経験ですが「本」に始まり「映画」「外出」「会話」等やはり、「見た」「出かけた」「話した」

「事実」を残した「だけ」ではやはり「意味」がないのですね。もっと究極を申せば「結果」と言う「事

実」を残した「だけ」と言うのも実は「意味」がないと思うのです。話返って、何故「本を読む」のでしょ

うか?と言う事なのですね。かつての同僚の方から「営業の魔法」と言う本を教えて頂いたのですが、かつ

ての自分に重なり、2日で読んでしまいました。今もたまに「再読」をしております。そして、先日に挙げ

ました池上彰さんの「何故読解力が必要なのか?」もやはり「再読」をしておりまして、そのきっかけが先

述の「三角州」と「リアス式海岸」の違いについてです。「読書」は単に決して「読んで来た冊数」では無

いと言う事で、「良い巡り合い」や「自身」の「適性」の要素も必要で有る事が、「自身」で「土台」を

「創って」積み上げているイラストを見て確信した次第です(笑)それが、私なりの「土台」イラストの

解釈です(笑)「営業の魔法」「何故読解力が必要なの

か?」については、近々勝手散文的に述べてみようと思います。まだまだ暑い日が続きますので、流行も含

め、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。

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