先日こんなお話を聞きました。
逆上がりができない女の子。
それをみかねた先生は毎日の放課後、マンツーマンの練習をすることを決めました。
先生の懸命なアドバイスもあり、女の子はまじめに練習し続けました。
数週間もすぎたころ、ついに女の子は逆上がりをすることができたのです。
先生もまるで自分のことのように喜びました。
もちろん、生徒も大喜び。
そして、こう言いました。
「もうこれで、逆上がりの練習しなくて良いんだね!!」
そうです。
女の子は 逆上がりをできたこと が嬉しいのではなく
逆上がりの練習をしなくていいこと が嬉しかったんです。
逆上がりができるようになったのは 紛れも無く彼女の成長です。
でも、彼女は今後、鉄棒を自分からやりたいと思うのでしょうか?
きっと、勉強も同じことがいえると思います。
勉強が必要があるが故に、たとえイヤイヤでも多少無理強いをする。
勉強が必要であるからこそ、自分からできるように無理なく頑張る。
これもあれもできてほしい
でもここまで押し付けて勉強嫌いになってほしくない
いつもその狭間で悩みます。
きっと答えなんて子どもの数だけあるのでしょうね
僕にとっては 1/100 でも
お母さんお父さんにとっては 1/1
僕が1人にかける時間は限られてますが
常に「生徒」ではなく「きみ」をみれるように頑張ります。
子供は1姫1太郎がいいけどその前に相手がいない 金田