近年、「多様性」という言葉を耳にするようになった。また、日常会話でよく使われる言葉として「人それぞれ」という言葉もよく耳にする。どちらの言葉も「個を尊重する社会」を目指す過程において生まれてきた言葉なのだろう。
現代が「個を尊重する社会」になっているかどうかはともかくとして、「多様性」や「人それぞれ」という言葉には何か違和感がある。具体的には、それらの言葉自体に問題があるわけではなく、使われ方に違和感がある。
何か基本となるような土台があり、その上に乗っかっているものが「多様性」なのだと思う。スポーツで例えるなら、どのスポーツにもルールがあり、それに従ったうえでどのようなプレーをするのかが多様性なのではないだろうか。
しかし現実には、基本となる土台に従わずに「多様性」という言葉を鵜呑みにして、それを振りかざしている様に見える場面も少なくない。それは「多様性」「オリジナリティー」などという立派なものではない。単なる「子供のわがまま」に似ている。
また、スポーツのルールまでは言わないまでも、バスケットボールのシュートフォームや剣道での竹刀の構え方など、あらゆるものには脈々と受け継がれてきた合理的な土台というものがあり、まずはそれを身に付けたうえでより自分に合ったものを生み出していく。これが「多様性」なのではないかと考えている。
その点を勘違いして、「多様性」という言葉が簡単に使われ過ぎているように感じる。