こんにちは。Wam四箇郷校です。風がふっと吹けばサッと散ってしまいそうな位、今年の並木道の桜もほぼ
満開ですね。また、今日から成人年齢が2つ引き下げられて、その分自己決定できる権限が増えました・・・
が、嗜好品類の基準は身体的な仕組み上、やはりと言うかそのままですね。権限(権利)増える分、個人に対
する決定前後の責任力が大きくなりそうです。さて、本日はエイプリルフールなのですが、この度、四箇郷校
から河北校に新学期より異動の運びとなりました。着任からあっという間の2年間でしたが、繫がりを持たせ
て頂きました方々のご厚情に御礼申し上げます。かなり古いですが(汗)、「ときめきメモリアル」の主人公
の物言いを借りますと、特に1年目は「なんだか授業ばかりしていた気がするなぁ」と勝手に案じられます。
兼ねてからの申し上げで、外で色々な人と話す事とは形上は違いますが、それぞれ違う生徒達とのそれぞれ全
く違う形の対話と言うのは、「その人の人となりを知る」と言う意味では、やはり大事だと感じた2年間でし
た。人となりを知れば、先週の物言いを引用しますが、その人その人に対する「台本」を作らせて貰えるよう
な気がしました。前任の西浜校の半分程の任期でしたが、当時の倍ほど喋っていた様に感じます(汗)。話し
上手は聞き上手と言いますが、「相槌」の「引き出しの数」がすごく多い方とも捉えられると考えます。次の
教室ではどの様な方達との出会いが待っているのか戦々恐々ですが、半分期待も持ちながら、体調に気を付け
て「自分らしく」頑張れれば、と思います。「自分らしく」と言う事に関連して、「鶏口牛後」と言う言葉が
高校入試後の国語の課題に出ておりました。「鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となるなかれ」と
言う漢文です。私もこの言葉は、高校時分に習ったのを覚えているのですが、今になって、私自身勝手です
が、ある程度年を重ねると、先述した「自分らしさ」や「「この先」の事」について考える事があるのです。
この言葉を史実に基づいて訳すと「大きな組織(牛)の下(後)にいるよりも、小さな組織(鶏)の指導者(口
(先頭))にいた方が良い」と言う意味です。数多の会社や組織が有り、それぞれ大小もあるでしょうから、
人と人との繋がりや関係もあり、中々自分のやりたい事や、自分の力を発揮し辛い時に直面するかもしれませ
ん。また、大多数の人達を纏め上げている方を見て、憧れの気持ちを持ったり、同じ様なもしくは、今ははっ
きりとは表現出来ないが「もっと大きな仕事」がしたい!等、影響されて、この人みたいになりたい!と、ふ
とした事で勉学に励むきっかけが出来る方もいらっしゃるでしょうね。その意気込みを削がれる形で、中々、
臨むであろうステージに立たせて貰えなかったり、自分の力が(もしかしたら自分自身かもしれませんが、)
何らかの要因で十分に発揮出来ないと言う事は、「論語」の孔子のお嘆きに同じく、どこの世界においてもや
はり心苦しく、悔いの残る事であろうと思います。その中で、一つの岐路として環境や場所を変えてみるとど
うだろうか?と言うのも一つの選択岐なのだと思います。言えば言うほど無責任な物言いが先行しそうで申し
訳ないですが、だからこそ、年を経れば経るほど覚悟が必要な分「自分で決める事」が大事なのだとつくづく
思います。自分探しの一環として、「自分らしく」「自分の力」を発揮できる場所は何処なのか、それが見つ
けられるか否かも恐らく個人差でしょうが、その個人差を一旦差し置いてですが、やはり大事なのは、人との
対話実践と本(教材)の学習を繰り返す事だと個人的には思います。「自分らしさ」と言うのも、捉え方があ
って、私個人が捉える「自分らしさ」は俗に言う「スローライフ」の如く、休息や余暇、また、自分個人の時
間や数十年後の事、自分や自分を取り巻く身近な方について等、どれだけ考える時間の余裕を持てる様にして
行けるか?それは自身の健康を意識する事にも繋がると思う故、ここ最近強く思います。「自分」にとって何
が大事か?とも捉えられるのです。ですが、若い内はある程度の無理も利くとは思うので、それでもその時の
「自分らしく」頑張る事も一つの答えなのではないか?とも強く思います。自分の事について考えたり、寛
(くつろ)げる時間が有れば、やはりホッとすると思うので・・・(汗)本日にて、四箇郷校での私のブログ
は終了となります。お目汚しになっていなければ幸いです。来週から、河北校に身を置く事になりまして、次
はどんな自分になるかは分かりませんが、出来得る限り、「自分」に軸足を置きながら「自分らしく」精進し
て参れればと思います。2年間有難うございました!暖かくなってきていますが、変わらず油断せず、体調に
くれぐれも気を付けて下さい。