こんにちは、Wam四箇郷校です。昨日は「大寒」を経て、寒い日が続いております。布団を被っていても、表面から仄かに冷気
が染み込んでいるのはないか?と感じる程です。さて、先週共通テストがあり、津々浦々で、喜怒哀楽・悲喜こもごもの声があ
った様に思われます。志願先を今週いっぱいあたりで決める事になるかと思われますが、慎重に冷静に行って頂ければと思いま
す。今年の国語の問題、とりあえずは第一問に目を通しました。宮沢賢治の「夜鷹(よだか)の星」を題材の一つに用いた、恐
らく「食(食べ物)」の「観点」についての説明文と解釈出来ます。文章前半の「夜鷹の星」は今期、中学受検の国語の教材の
一つとしても用いたのですが、よだか自身が、自分自身の「立ち位置」を恐らく「食物連鎖」の観点を用いて客観的に分析し、
世の中を儚みながら、最後は「消える」事を選んだお話ですが、終始通じて、よだかなりの「他者」に対する「憂い」「労り」
の心が垣間見られます。もし、動物に「心」や「意思」そして、「言葉」と言う概念が存在するのであれば、と言う「因果(も
しも)」の要素を絡めた、農業指導等の「自然」を通じた宮沢氏独自の「感受性」が生み出したお話とも言えるでしょうね。ま
た、後半では今年の受験生の一人一人がいきなり「あなたは豚肉」と言われたのも、失礼を承知で滑稽極まりないですが(笑)
食してから排泄されるまでの一つ一つの何気ない行動をここまで細かに表現されると、個人的にはいささか体の芯がむず痒くな
る心境になり、そちらの方が私にとっては滑稽でした(笑)。食べ物にもよるでしょうが、実際何気なく「自然な事」なのです
ね。後半の著者の方は、「食べ物」に関する人間の2つの「価値観」を示しておりました。私自身は、「目の前の食べ物を「今生
きて居る物」として食べていない」価値観と「食べる事により「人間が」排泄する物は、巡り巡って微生物となり、再び海から
スタートして海の生き物を生かす元になるから、食べる事は食糧を循環させる一つのプロセスである」と言う価値観と言う風に
受け取れました。よだかの話に戻りますが、虫を食べる立場でもあり、鷹に食べられる「可能性」もある立場なので、恐らく
「食物連鎖ピラミッドの中間」に位置すると思われます。「食べられる事」によって自身の命を落とす危険性があったにも関わ
らず、逆に食べる相手を憂おうとするよだかに、皆さんは何を感じられるでしょうか?人間の体は本当にわがままで、健康な体
であれば、その時の感情によらず、まずお腹が空くと思います。普通であれば、「お腹が空いた・・・」の感覚が伝わり「感
情」や「言葉」のレベルで感じれば、最早わざと申しませんが、「どのような行動」を取るでしょうか?「生きる為」に(笑)恐
らく概ねの方は「そうする」と思われます。そうでなければ、待っているのは「言わずもがな」ですね。個人的にこういう見方
も出来ると思うのです。先述した「動物」についてだけでなく、もしも「物」や「物体」と定義される物に「心」や「意思」そ
して「言葉」と言う「概念」が存在するのであれば、擬人化になりますが、その「物」や「物体」「達」は、取り扱い、手に取
る「相手」を一体どのような「目で見ている」のでしょうね。物や言葉の扱いが「丁寧」もしくは本人なりに「丁寧」に取り組
もうと頑張っている方はその「観点」が有るのではないか?と思うのです。「物」や「物体」は恐らく「人間」ではありません
が、逆に「「人間」は物ではない!」と声高に仰られる方は「普通」にいらっしゃるのですよね。今、現在「人間は食物連鎖の
頂点」に立っていると思いますので、文化圏によっては「食べられる脅威」が無い存在です。食べられる「脅威」が無く、
「物」が飽和に有りふれて「見えている」状態から転じて、よだかの様に、「食べられる脅威」が有り、「循環」のメカニズム
が見えれば、「物」や「物体」をぞんざいに扱ったり、捨てたりする事もある程度は無くなるのではないか?と思う次第です。
「有りふれた物」を粗末にする人間は「それを経て無くなった物」に捨てられる様な気が致します。まだまだ寒いですから、口
腔内の乾燥を防ぐ為うがいと、そして手洗いを励行し、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。