こんにちは、Wam四箇郷校です。来週は暦「大寒」が控えており、近日の寒さがひときわ厳しいですね。体調は崩されていない
でしょうか?特に高校生の方は、明日明後日共通テストを控えて居方々もいらっしゃるでしょうから、わかる範囲で「対策」に
努めて頂ければと思います。さて、先週のブログにて池上彰さんの著書を新しく読み進めて居ると申しましたが、とりあえず
「一通り一周目」を「読了」致しました。あくまで「一週目」ですので、折を見て所々「再読」をしようと思っております。そ
の中で、
「情緒的読解力」と「論理的読解力」の2つの「読解力」について少し触れかけました。池上さんが仰るには、前者は「自分とは
全く違う境遇の人、考え方が異なる人、自分がしたことがない体験をしている人に対しても共感できる力(ママ)」そして、後
者は「相手の主張を理解する力(ママ)」とありました。自身の感情を、表情や言葉で、込めたり、捨てたり、吐き出したりす
る時や場所、相手は「考えて選ばないといけない」と言う風に、私には「とりあえず「一周目では」その様に」解釈した次第で
す。ただ、「このやり取りの仕方が正しい」と言うのは必ずしも「100%の人に通じる事」は恐らく絶対ないでしょうから、極論
ですが、「Aさんは冗談と捉えてくれるが、Bさんは烈火のごとく怒り出すのだな」と言う事象が発生する可能性は否定できな
いと思うのですね。その際の2つの読解力をどう使いこなすべきか?そこで自身の「読解力」≒「人間性」が問われる様な気が致
します。Bさんに対して「あそこまで怒ることはないじゃないか!」と自身も「つられて感情的に」なってしまうのか?もしく
は「何故あの人はあんなに怒りの感情を露わにしたのだろう」と「つられずに冷静に」対処するのか?自分次第で「解釈」の幅
の行く末が「大きく分岐」すると思うのです。もしかしたら、「Bさんと言う方」が居るという事は、もしかすると「同じよう
な解釈の仕方を持った方」が更に何人も居るのではないか?と考えるきっかけになると思うのです。相手が何を望んでいるのだ
ろうか?とか、自分と行き違った相手を攻撃してしまう「感情論」と、相手が何を考えているのか、望んでいるのか?それらを
自身なりに考察してみる「感情論」は、当たり前ですが、これは根本的に違うと思うのです。やはり、前者の方は「色々な意
味」で「停滞」してしまいそうな気が致します。もっと言えば、「批判」と言うのは「「自身」の「手」で「比」べて良し悪し
を(出来れば)「半」分に「刀(りっとう)」で分ける」という事ですから、「口が悪い」事とも根本的に違うと思うのです。
何が良くて悪いのかを自身なりに「判断」する力だと思うのですね。「口が良く」なって来ると、「口の悪さ」は減って来て
「自身の中」で「消化」出来ると思います。また、私自身の主観もありますが、今まで触れ合ってきた方も含めてそういう方の
「読み解く力」は相応以上に備わっていると思います(笑)。全く話が変わって、故・中川米造さんというお医者様が、医学生
達に向かって「これからは患者が入ってきたのではない。病気を持った肉体がドアを開けたのだと思いなさい。」とおっしゃっ
たそうです。例えば「この言葉」を「どう「読解」されるか?」と言うのも色々な形で「分岐」するかもしれません。「この部
分」だけを取り上げて考えるのか?もしくは、この言葉の真意を紐解くために文献元を探ってみるのか?その場で「人を商売道
具としか見てないんか!?」「医者はそういう風に患者を診てるのか?」等つい口をついて出てしまうのか?もしくは「何故こ
んなことを仰ったのだろう」と一歩立ち止まって見るのか?もしくはそれ以外の解釈が有るのかは私自身も分かりません。
ですが、恐らく医学の発展には私情を挟まない「論理的読解力」が必要で、反面患者さんへの寄り添いには「情緒的読解力」が
必要なのか?と考えます。ただ、お医者様(医療従事者)は「患者の方」に「感情移入」をしてしまうとどういう事になってし
まうのか?その部分が「根底」にあると思うのです。ただ、矛盾する様ですが「分け隔て」の意味を込めない「感情移入のさじ
加減」をしてしまうのは「人間」である以上、致し方ないことだと私自身も思いますので(汗)この「矛盾」とどう付き合って
いくか?と言う事を提示されている様に「読解」した次第です。ですから、と言うとこじつけのようですが(汗)ご時世柄も有り
ますから「体調」にはくれぐれも気を付けて下さい。