こんにちは。Wam四箇郷校です。11月も間も無く下旬に差し掛かり、年の瀬定番の雰囲気がそろそろ漂い始めてくる頃かとは思います。水道の水がすっかり冷たくなりましたね。「枕草子第一段」の「早朝」のドタバタに似た情景の数が、それに比例して増えてくるでしょうか(笑)大急ぎで「手動」にて一生懸命に、炭の火を起こして部屋を暖める事がいわゆる「アナログ」であれば、ボタン一つで手軽に石油ファンヒーターや、エアコンを運転させる事は、対して「デジタル」になるのでしょうか(笑)でも、方法は時代毎に違っても、部屋を何故暖めようとするのか?と言う「理由」や、部屋を暖めたいと言う「動機」は、恐らくいずれの時代も「共通」で「変わらない」のですよね。例えば、「寒くて、動けんし仕事にならんねん!」って感じで。言わずもがなでしょうが、「動機」が変わらないという事を言い換えれば、人の抱く「欲求」を基にした「感情」を抱くのは、人の「五感」ないしは「六感」故だと思いますので、やはり恐らくこれからも「変わらない」のだろうと思うのです。今更ですが、ただ、その「見てくれ」や「やり方」が変わっていくだけだと思うのです。古文や俳句等に拘わらず、他人の感性故の言葉に触れていると、出来れば、「便利さ」の上に胡坐をかない様に、ある程度は自分の手足と頭を使う、昔気質の「アナログ精神」は持ち合わせておきたい物だと感じます。四箇郷校に赴任して以来、久方ぶりに県立中学受検の類似問題に触れておりますが、「人間と機械の共存」も国語分野の一つのテーマになっています。当然、「機械」という物やその「概念」は「人間」が創り上げたものですから、私見を申せば、「機械」を卑下する意味ではなく、あくまで人間にとっての「一助」という意味で、創り上げた人間が「優位」に立った上で、存在するべき物だと思うのですね。「人工知能エージェント」と言う「概念」が登場して、実際それが「自動運転装置」等の、乗り物の制御システムとして具現化されれば、恐らく「端的」な「理想」の「実現面」で申すと、労働力に対する「即戦力」として役立ち、「人間」の残業等の過重労働の軽減にはなるかもしれませんね。ただ、以前の申したのですが、現在の「機械」には、やはり感情が無いのです。テレビやネットに、「自身の欲求全て」を求めるかの様に「自身の感情」を訴えても「プログラム」した通りにしか、オウム返しをしてくれないのが、「機械概念」の現状だと思うのです。相手の「顔」が見えていなければ、なおさらでしょうね。私は昭和版しか見ておりませんが(笑)もし、「ドラえもんのび太と鉄人兵団」の「リルル」の様な「感受性」を兼ね備えた「ロボット」がこの世に出てくれば、「理想の実現」として、訴えた「感情」に対する「返報性」は望めるかもしれません。ただ、人間と比べて「機械」の良い所というのはどう言った所があるでしょうか?疲れない、停止させない限り「プログラム」した通りに「素直」に「決まった通りに決まった時間に」動いてくれる、恐らく「奸知(ずるがしこい思惑)」を持たない・・・要は「サボる」という概念を持たない!(笑)etc色々な長所があると思います。個人的は人間の「身体」ってわがままだと思いますから、例えば
この時折のわがままさをあくまで「フォロー」してくれる「部分」が「機械」の「一助」だと思うのです。人間の「臨機応変さ」と言う「アナログ精神」と機械の「機械的な対応」と言う「デジタル精神」の共存精神のバランスが、「わがまま」や「便利さ」に今後流されない様、必要になって来る気がします。「リルル」の様な存在は、きっと「究極理想」の「実現」でしょうが、もし、そうなった時は、「人間以上」の「存在」の「誕生」を意味するのかもしれませんね(笑)言い換えれば「機械」が「人間」を選ぶと言う時代が、または刑務官の押すボタンの如く(例えが物騒ですが)「罪悪感」を軽くする為に「機械」に信頼重きを置く様になった「人間」が「機械」の「仲立ち」を伴って「人間」が「人間」を選ぶをと言う時代も、もしかしたらやって来るのもそう遠い時代では無いのかもしれないですね。「機械」と言う「便利さ」と「共存」せず、全てを求めすぎて「依存」するという事はそういう事では無いかと思います。「師走」も間も無くで、寒さも厳しくなって来るでしょうから、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。