こんにちは。Wam四箇郷校です。すっかり、暗くなるのが早くなり、朝晩も心なしか涼しく過ごし易くなった気がしますね。3
連休、お彼岸を前にして、今年も正にその言葉通り、と言った所でしょうか?ただ、雨が降り続いているので、交通面や体調に
はくれぐれもご留意下さい。部活が一段落して、日々の時間にゆとりが出来た方も多いでしょうか?いきなり「(受験)勉強」
なる物を量的にも時間数的にも生活の一部に振り押し込まれて、葛藤している方もいるでしょうか?今更なのですが「勉強って
何のためにするの?」「する意味が有るのか?」とか「勉強って本当につまらん」と言う事を年々時折耳にします。「何のため
にしていると考えているか?」「意味が無ければ止めれば良い」でしょうし、「学ぶ事学ぶ事面白い事ばかり」であれば、より
好み等しなくて良いでしょうし、好き嫌いも出てこないと思うのです。いつだったか忘れましたが、以前のブログにて勉強する
必要がある一つの定義として「世の中を知る」と言う事ではないか?とと申した事があります。数年前ですが、「君たちはどう
生きるか?」と言う本(こちらに関しても以前申したことがあります)を出先と自宅にて計約2時間で一気に読破してしまった事
が有ります。正に目から鱗でして、「勉強する必要」の「一端」が垣間見れた様な気がしました。例えば、これから県立中学の
受検を考えている人、もしくは受検中の生徒さんでも、それ以外の方も、もちろん大人の方も読んで頂いても良いかと思いま
す。「人と物の繋がり」のエピソードには、私自身、「感情のコントロールを出来る冷静な人間にならないと行けないな」と
「反省しきり」の内容が詰まっておりました。「食べ物」が作られて、一つの商品として売られ、人の口に入るまで、沢山の人
の「思惑」や「働き」が有るのですね。その「繋がり」のどれか一つでも欠けると、スタートからゴールまでが「繋がらない」
のですね。根幹はそれぞれ、人間の行う事ですから、「繋がり」の途中で、時間の遅れや、ちょっとした「間違い」「手違
い」、後いわゆる「理不尽」が出て来るかもしれません。それ故に、相手からは見えない、自分にしか分からない「事情」の
為、「勘違い」をされたり、嫌な思いをさせられてしまうという事は、内容を問わず有ります(有りました)でしょうか?それ
でも、「時間を守る」とか、その「事情」は置いといて「相手に迷惑を掛けた」と思ったら、何でもそうすれば済む訳では無い
ですがまずは「謝る」、「施し」を受けたら、ひとまずは「有難う」
と言う等、社会の「規律」を守る為の「恰好(かっこう)」が大切だと思うのですね。この「恰好」さえ崩れてしまうと、最早
「好き勝手」が横行してもおかしく無いでしょうね。色々な方々の事情が伺い知れて来ると、「怒ったり」「いらいらしたり」
する事が徐々~に少なくなって来る気がします。その方、本人には決してなれませんが、むしろ「怒り」に対して「怒り」で返
すより、「怒り」の「理由」を「案じる」習慣が付いて来るような気がします。「自分の事情」だけに囚われず、「冷静」にな
ってどうするか?を考える事って、かなり大事な事だと思うのです。いっぱい感情任せで「怒って」しまったり、「自分の事ば
かり」で行動していると、めちゃくちゃ空回りして逆にすごくしんどくなってしまうと思ったりします。例えば、当然事前に
「先回り」して考えた事が「全て当たる」訳では無いですが、「勉強」する事によって「そうする」「習慣」と言う物を身につ
けられたのであれば、「勉強」する意味は有ったのではないか?と思います。まっこと私情で恐縮ですが(汗)私個人の「感情
の「メカニズム」」が変化し始めたきっかけは、この本との出会いです。自分の「人間性」を変えられる為の「きっかけ」を本1
冊読むだけで得られるなら、「勉強」の「意味」は無いとも言い難いと思ったりします。「嫌で」「面倒臭い」部分も含めて
「勉強」ですから、それでも「人と物の繋がり」を学ぶ事によって、学んでみたい「興味」の分野が出てくれば、それで一つ
「勉強」出来たと言う事では無いでしょうか?見つかるのが速いか遅いかは、「個人差」が有って当たり前だと思いますし、で
すが学んで探さないと「理由」や「面白味」「やりがい」なんて見つからないでしょうから、やはり「自分次第」の行動であろ
うと思います。気温が下がってきておりますので、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。