教室ブログ

2021.09.10

【「感覚」と「間隔」】

こんにちは。Wam四箇郷校です。9月の初旬も早や本日で終わりですが、快晴の空の下、マスクも着けながらですと尚更、小一時

間もすれば背中が汗でびっしょりになる程、まだまだ暑いですね(笑)未だ冷製物が習慣的に体に染み入る位、恋しい感じではあ

りますが、皆さんは何ぞ個人的な習慣的ブームは有ったりしますでしょうか?ブームもいわば一種の「継続的」「断続的」な物だ

とは思うのです。依存的な感情も無く、季節や年等、一定の期間や期日でスッパリと区切れるものであれば良いでしょうし、また

逆に「多勢に無勢」的に一つの時代の流れに取り残されない為の「建前の行動」で有ったり、でも初めは「建前」や「イヤイヤ」

だった動機がいつのまにか「自学」で自分で求めてしまう位のめり込んでいた・・・と言う事も可能性として有るでしょうね。そ

もそも「ブーム」とは全く無縁でそれを始めたと言う可能性も有るでしょうね。「始めた事」の行く末がどの様な物になるかは、

その人の当初持った例えば「理由」や「目標」次第で、それらは継続していく中で出来上がっていく「感覚」になるのでしょう

か?いわばその事に対する何ら異のない「普通」の「物の見方」、「常識」と言っても良いかと思います。周りの「熱」が冷めた

ら釣られる様に「継続しない」のか、新たな面白みや「理由」「目標」を見つけたから、「継続する」のか、それもその人の「感

覚」でしょうね。楽しみや、やり甲斐を見つけられたら、適度な「頻度」や「回数」「技術」「タイミング」等、自分だけが知り

得る「感覚」が作れるでしょうし。また、先達の方等、新しい「感覚」に触れた時に、その「客観性」を元に自身の新しい「感

覚」が「設定」し直される事も珍しくないでしょうね。いわゆる「リセット」「一新」と言うよりはむしろ、新しい「感覚」を更

に組み込んで「多様性」を持たせるというニュアンスだと思います。当然、前者の考えも必要だとは思うのですが(笑)そしてこ

の「感覚」と言う物は、ある程度の期間、折々で「刺激」を与え続けないと「それでいい」と「気にならなく」なって「当たり

前」と「硬化」してしまう所が怖い所の様に思えます。同じ事や現象が続いてしまうとやはり「飽和」してしまうと思いますか

ら。そういう意味では、「意見」や「苦言」「お叱り」等は自分の見えていなかった「感覚」として甘んじて受け入れる必要が有

ると思うのです。確かにその時の「恥ずかし」「悔し」の感情は否定できないですが、これらも新しい「感覚」としての大切な

「感情」でしょうね。話変わって「感覚」の件で、「間隔」の「感覚」の件です。普段見慣れている物によって、「普通」という

「感覚」が作られる事も有ると思うのです。穿りすぎかもしれないのですが、「街並み」と言う物はそこで生活している人の数に

基づいて作られている(作られて来た)様な「感覚」が自分勝手にするのですね。30階40階建ての高層マンションが延々と立ち並

ぶ間隔15m~20mの道を延々と歩いていると2000人3000人程の人達くらい、視界の中に軽くスッポリと嵌ってしまう「感覚」にな

りそうな時が有るのですね。実際嵌ると思います(笑)笑い事ではないのですが、そう考えてみると、普段見慣れている場所によ

って、「数」の「多い」「少ない」の「感覚」というのは、人によって千差万別で「そりゃあ少ないと当たり前に感じてしまう人

達が普通に居ても仕方ないのだろうか・・・?」と思ってしまうのですね。それに「慣れ」と言う「飽和」が加味されると尚更で

はないでしょうか?(汗)「継続」と言う言葉を使いましたが、「継続出来る」方の割合は、これもまた解釈・分析が千差万別

の様ですが、万単位の中の一人いるかどうかの様ですね。「全く同じ事」をいつまでもと言う意味ではなく、その時期に応じ

た、臨機応変且つ無理無い範囲での「継続」が似つかわしく、「継続率」も上がる気が致します。「楽しみ」や「目標」もそう

ですが、「他者」の存在も無いと、「続かない」ですものね。「刺激」を与えつつ、柔軟な「感覚」を育てていく事は、「他

者」との関わりにおいて、「怖れ」や「行き違い」を治めつつ「間隔」を縮めて行く手立ての一つなのではないか、と思いま

す。まだまだ残暑が続くと思いますので、熱中症等、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。

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