教室ブログ

2021.09.03

【完璧】

 こんにちは。Wam四箇郷校です。9月になり、月替わりと同じくして、新学期が始まった学校が多いかと思います。本日は、朝か

ら雨が降り頻って、足元悪くされている方も多いでしょうか?他人事の様で大変失礼ですが、これも一つの自然との付き合いかも

知れませんね。授業が始まり、指導する側それを受ける側双方、それぞれの慌ただしさが有ると思いますが、それでも時間が有限

の上「やるしかない」のではないか?と思われます。ご無沙汰の他言引用ですが、「事を為さずして過誤を免かるるは、何ぞこれ

に練(ね)れて過誤無きに若かず」歴史人物、吉田松陰氏の一言この方についての言葉もご無沙汰かと思います(笑)。※行動せ

ずに間違いを逃れるよりは、仕事を何度も粘り強く熱心に努めた上で過ちを逃れる方が良いに決まっているだろう」と言う大意で

す。「練れる」と言う言葉は、お菓子で言う、「ねるねるねるね」の「練(ね)る」の事で、粘り強く時間をかけて混ぜ続けて熟

成させていく意味合いが有ります。この世には億単位の人達が生存しています。「行動した上で何事も間違いをしない」と言うの

は、極論でしょうが、それらすべての方々の「要望」や「基準」等求められている全てに寸分違わず「合わせる」事が出来る状態

であろうと考えます。恐らく、自然と向き合って培ってきた人智や、今現在存在しうる英知を超越した能力、例えばドラえもんや

神様、予知能力、千里眼、ドラえもん関連で言えばタイムマシン等、正に「あり得ない」物でも無ければ、その様な方が存在する

可能性は「0」に等しいでしょうね。結果、何かに対して「無防備」で有った経験は、皆さん多かれ少なかれ有ったでしょうか?そ

う申してしまうと、松陰氏の「言葉」を否定してしまいかねませんが、そうではないのですね。この「言葉」の後半部分は確かに

いわゆる「理想」ですね。「そら誰でもそうやで!」と突っ込みたくなる位の(笑)ですが「理想」と言う「概念」が何故のこの

世に存在する必要が有るのでしょうか?・・・転じてもし「理想」と言う「概念」が無い世の中になった時、どんな世の中になる

でしょうか・・・?「理想」を幾つかメタ言語化するとすれば、人の成功道程への「心」の「支え」や、また大勢の人を「規範

的」にまとめる為の「道徳」でしょうか?「完璧」と表現しても良いでしょうね。この場合は。「当たり前じゃないか!」と突っ

込みたくなるような物言いだからこそ、尚更この「概念」が必要なのだろうと思うのです。ただ、人の数だけその「概念」が存在

するでしょうから、全て同じ様に、望むままにと言うのは至難の業でしょうし、納得出来ない「概念」も数多く出て来るかとは思

います。一旦話変わって、人為的な要素は退けてしまいますが、過ぎたるは猶及ばざるが如しの如く、「適度」であれば「恵み」

をくれるが、「行き過ぎると」「災い」をもたらしてしまう「自然」に「完璧」を求めてはいけない、と思うのです。自然でさ

え、「完璧」をこなせないのであれば、言い換えれば、自然や人間が「完璧」をこなせない「原因」を「人間」が作らせてしま

って居るのであれば、「人間」が「人間」に「完璧」を求める事は少し待った方が良いのではないか?と思ったりします。松陰

氏の本心は測りかねますが、「完璧」はあくまで「理想」で、それゆえ「完璧」と言う物は恐らく実現不可能であろうが、それ

でも「完璧」という「概念」が有るからこそ、「学び」、「頑張る」人が多いのかもしれないですね。自他問わず「完璧」さを

欠く故、ついつい「批判」をしてしまう節もあるまも知れませんが、一番恐ろしいのは、「批判」した事で、何かをしたように

「錯覚」してしまう事だと思うのです。「完璧」を求めすぎるがあまり、「完璧じゃない!」と言って、方々をついつい攻撃し

てしまっている節が有るとすれば、その方は知らない内に「完璧」とは対極に立ってしまって居るかも知れません・・・
(汗)。

事を為す、為さないとはそういう事ではないか?と思ったりします。気軽に「繋がれ」て多くの「理想」に触れる事が出来る様

になったこれからは「失敗も含めて擦り合わせて補いながら上手く付き合っていく」と言う「概念」が非常に大事になって来る

んじゃないかな~と思います。雨と残暑にて気温の変動が乱高下しそうですので、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。

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