こんにちは。 Wam四箇郷校です。 お盆休みが明けまして、8月も終盤に差し掛かりましたね。 「秋」の使者とし
て、四箇郷校教室の中にも、恐らく隙間からの隙をついて、夜にマツムシが何匹か参入しております(汗)昨年も同じ
光景が確かあったのですが、地上活動をしているとこういう事が、折々で有るのですかね? (笑)しばらく夜の間、鳴
き声がしんしんと響きそうですね。 睡眠妨害だけはなるべく避けて欲しいですが! (笑)少し延長になって、あと少しで
はありますが、この夏休みは、何か「思い出」は作れましたでしょうか? このご時世中々外に出て思い出を作る事は難
しいとは思うのですが、私の場合は、外に出るのが難しい場合はやはり「本」との「出会い」なのですよね。 困った時
の「読書」もしくは、それに関連する「調べ事」です。 今回も、夏休み期間のこちらでの授業を通して、新しい作品に
触れる事が出来ました。 以前「バスに乗って」と言う作品で紹介致した、「重松清」さんの「くちぶえ番長」と言う作
品です。 主人公の「僕」と、4年生の初めに転校してきた「マコト」との一年間を描いたお話で、お話を盛り上げる人
物設定として、幾つかの伏線が引かれております。 「転校してきた」「マコト」と「僕」の父親同士はいわゆる旧友同
士と言う、思わず「話が上手すぎでしょう?」と思ってしまいそうな、且つ「僕の」飼い犬が既に亡くなっているとの
「人物設定」が背景に有ります。 その下で、3学期になって、間もなく出会って一年が経とうとした頃「僕」「マコ
ト」は「すれ違い」を起こします。 と言っても、個人的には「僕」の「一方的な」「行き過ぎた」「感情」が引き起こ
した物だとは思いますが・・・。 マコトは、「僕」に対して「クラスの中で誰よりも」「早く」「一番」に「転校す
る」と伝えます。 この事を「僕」は作中内で「マコトの「秘密」を知っているのは僕だけだ!」と「秘密」と表現しま
す。 本当の所は「秘密」を伝えてくれる「当人」にしか分かりませんが、皆さんは「秘密」を「自分」に「だけ」伝え
てくれた時、果たしてどの様な気持ちがするでしょうか? ちょっとした、自分の事を大事に思ってくれている様な「優
越感」や「嬉しさ」を感じるでしょうか? でも、「僕」は恐らくその様な感情はある程度持った反面、「僕に早くお別
れを言いたかったから」僕「だけ」に「初めに」伝えたんだ、と「飛躍」させてしまいます。 (汗)私なりの表現で申
せば「可愛さ余って憎さ百倍」でしょうか・・・? 「転校して欲しくない気持ちが増幅してしまったのでしょうね
(汗)大人の表現をすれば、所謂「未練」だと思うのですが、子どもでここまで考えてしまうとすれば、大人であれば
尚更、「人の気持ち」にこれと言う「正解」は無いのだろうと、つくづく思うのです。 「僕」本人が
一つの行為に対して、嬉しくも、憎たらしくもと言う両方の感情を持ったとすれば、どちらもやはり「正しい」のです
ね。 「 国語」の観点を抜きにすればですが・・・。 重松さんからの、「こう考える人も、恐らく居るかもしれません
よ?」 と言う「提示」と私は受け取れます。 今風な表現をすると「めんどい」と言う事になるとは思いますが(汗
)覆らない現実を、気持ちとして「僕」はどう切り替えようとするのかが終盤のポイントなのですが、2つの「死」がき
っかけになる様です。 マコトの父親は既に他界しており、つまりは「僕」の父親は、「別の形」で「友達」との「別
れ」を経験しています。 「僕」の母親もワンと言う、恐らく僕や父親よりも日常長く居た「家族」との「別れ」を経験
しています。 どちらも「近しい人」との「別れ」ですね。 「僕」の両親は「思い出」が残っているから、「天国にお家
が無ければかわいそうだから、犬小屋をさっさと処分しましょう」等、それぞれ違う形で、気持ちを切り替えて「前向
き」に進もうとして居る(していた)描写が垣間見れます。 マコトはまだ当然生きているので、「別れ」の形が違う以
上、毛頭比較する事でないのかもしれませんが、「思い出」に縛られるのではなく、「思い出」と共に生きると言う事
はどういう事か? 生きていれば「色々」な形で「別れ」が有る以上、それらとこれからどう向き合っていくのか? 今回
の重松さんの作品を拝読して、そう問われて居る様な気がした次第です。 今回の夏の「思い出」の一つです(笑)※活字
の羅列で涙を流せる方は、それなりの経験をされた素晴らしい方ではないでしょうかね(笑)残暑が続きますので、体
調管理には十二分に気を付けて下さい。