日本人は、古来より自分の気持ちを歌にして詠む習慣を持っています。
その原点である日本最古の和歌集を紹介していきます。
◎三大和歌集とは
三大和歌集とは「万葉集」「古今和歌集」「新古今和歌集」のことです。
万葉集
「万葉集」は奈良時代の終わりに作られたとされる日本に存在する最も古い和歌集です。
そこにある和歌はすべて漢字で書かれており、全20巻、4,500首以上の和歌が収められています。
その和歌の内容は、宴や旅行の歌「雑歌(ぞうか)」、男女の恋の歌「相聞歌(そうもんか)」、人の死に関する歌「挽歌(ばんか)」の三つのジャンルに分けられます。
古今和歌集
「古今和歌集」は平安時代中期に作られた日本最初の勅撰和歌集です。
全20巻、1,111首の和歌が収められています。
勅撰和歌集とは、天皇や上皇の命令によって編集された和歌集のことです。
「古今和歌集」は仮名序と真名序と言われる二つの序文を持ちます。
序文内では、歌の評価だけでなく、歌とはどういうものか、そしてこれからどうあるべきか
などが記されています。当時の歌に対する考え方がはっきりと文章で示されたものと
なっているので、歴史的な文学史の資料として貴重なものとなっています。
新古今和歌集
「新古今和歌集」は、鎌倉時代初期に作られた勅撰和歌集です。
全20巻、約2,000首の和歌が収められています。
和歌の編さんについては、四季の推移や恋の進展に沿って配列されているほか、古代の歌人と当代の歌人の歌を交互に配置するという凝った工夫もされています。
◎時代背景で変わる歌風と特徴
「万葉集」ができた奈良時代から平安時代にかけて、自分の気持ちを伝える和歌は、政治や恋愛においてとても大事なコミュニケーションツールとして使われていました。
平安時代の初期では藤原氏が大きな権力を持っていたため、没落していく貴族の中には、
政治の代わりに和歌に没頭しようと考える者が増えました。
その代表的な人物が、在原業平と紀貫之です。
このように和歌を専門とする人が増えてくると、和歌をコミュニケーションツールとしてだけでなく芸術として見る動きが生まれてきました。
このように和歌の価値観が大きく変わる中で、作られたのが「古今和歌集」です。
この編さんのメンバーは天皇から選ばれたにもかかわらず、下級役人として働いていた身分の者でした。これは和歌に没頭していたのが政治から離れた人々であったからと考えられます。
この時の歌風は、様々な技巧を使い和歌の中に詠み手の気持ちを引き立てるように工夫されている点です。
技巧の中でも、掛詞・縁語というものが「古今和歌集」ではよく使われています。
掛詞とは
同じ言葉に2つの意味を掛け合わせること。
例えば、「松」に「待つ」、「聞く」に「菊」の意味を掛け合わせる。
縁語とは
連想する2つの言葉を同じ和歌の中で使うこと。
例えば、「露」を使ったら「消ゆ」、「糸」を使ったら「ほころぶ」をセットで使う。
このような技巧が使われていることから、「古今和歌集」は「知的」とか「理性的」と言われています。
この後に出る「新古今和歌集」は三大和歌集の中で最も新しい時代になるので、さらに和歌の技術が上がってきます。
それを裏付ける手法として「本歌取り」があります。
「本歌取り」とは、過去の有名な歌の一部を変えて新しい歌にするというもので、和歌において「本歌取りが上手い」ということは、自身の教養と技術の高さを示すことになりました。
◎こんな歌もある
日本の新しい元号の典拠となった「万葉集」にはユニークな歌やくだらない歌、思わず笑ってしまう歌があります。
「酒を讃むる歌」~人間なんかやめて酒壺になりたい~
なかなかに 人とあらずは 酒壺に なりにてしかも 酒に染みなむ
(訳:中途半端に人間でいるくらいなら酒壺になってしまいたい。そうすればたっぷり酒にひたれるだろう。)
「ちょっと下品なトイレの歌」~屎(くそ)は遠くでしてくれ~
からたちと 茨刈り除け 倉建てむ 屎遠くまれ 櫛造る刀自
(訳:櫛を造る婦人方よ、私はこれからカラタチと茨の草木を刈り除いて倉を建てるから屎は離れたところでやってくれ)
◎まとめ
三大和歌集の魅力の一つは、人々の生活や恋愛が素直に反映された歌が多いところです。
気になった歌から三大和歌集に入門してみてはいかがでしょうか。