こんにちは。Wam四箇郷校です。梅雨があけ、晴天がしょっちゅう臨める様になって参りました。私も、この一週間いく
つかの小中学校へうちわの配布に参りましたが、30分もすれば背中が汗の滝状態ですね(笑)。日々、部活動など、それ
ぞれの嗜好に邁進されている方々は、本当に暑い中ご苦労様です。一歩間違えると、熱中症等、体調を崩す事と紙一重です
から、面倒ですが、先々の事も考慮して、暑さ対策は万全に行って下さい。さて、「言外(げんがい)」と言葉を皆さんは
耳にされた事は有りますでしょうか?単純に意味を申せば「直接言葉に出さない(出されない)部分」と言う事です。
「はっきりと言葉にしてくれなければ分からない」と「言う」人も居れば、「はっきり言葉にしてしまうのを憚られる」と
「言う」人もいるでしょう。また更に「言う」人も居れば「思う」事に留めておく方もいるでしょうね。粗雑な表現になる
と「そこまで言わないと分からないのか?」「しょうもない事いちいち言いやがって」と「言ってしまう」ないしは「思っ
てしまう」方もいるかもしれません。かく言う私自身も「かも知れません」と表現している時点で、最早これまた「言外」
なのですね。だって、相手が何を考えているかなんて100%分からないですから。例えば、「自分の事を分かって欲し
い」、と常日頃「言ったり」「思ったり」しているにも拘わらず、と言う人が居るとして、「私には、貴方の考えている事
が100%手に取る様に分かる」と言う存在が現れた時、「嬉しい!」と思えるか、恐怖にも似た「気持ち悪さ」を覚えてし
まうかは人それぞれでしょうが、後者であればこれはこれで「矛盾」と言うか何とも「皮肉」なものだとは思います。はっ
きりと表されている言葉の中から「恐らく」「常識的な範囲で」「考えられる」「事案」や「事態」を導き出す、それが自
身にとっての「言外の意味」でしょうね。私自身は「言外の意味作り」の積み重ねが、その人の人格を作りあげるに等しい
と=作り上げられた人格に等しい、と考えています。例えば、自分に都合のいい時、悪い時は、一体、どの様な感情の状態
にあるのか?乱さず穏やかに居られるか?もしくは烈火の如く八つ当たらんばかりに乱れているか?人のせいにしている
か?もしくはまず自分で何か改善出来ないか?と考えるか?等、抽象的な表現ですが、普段の生活において、「言外の意
味」の見い出しと言う物は常日頃行っているのだと思うのです。その見い出しがほぼ常にどう分岐しているか?その分岐の
積み重ねが「癖」や「言葉遣い」「習慣性」「人格」等に反映される様な気が致します。当然、自身を取り巻く周りの方々
の「教え」「良識」も大切だと思います。本を何故読む必要が有るのかと言う事等は今更ですし置いといて(笑)「そのつ
もりは無かったが、悪気無く知らぬ間に相手を不快にさせていた事と言えば、例えば何か?」と聞かれて、皆さんは何を思
い付くでしょうか?悪気が無かったと言えば、本当にそうだったのかもしれませんが、「指摘される」時点でこれは間違い
なく「自分自身」の「言外」だったと言う事なのでしょうね。言い換えれば、新たな「慮り」なのでしょうね。「そうして
はいけない」「そうしなさい」と言われて「はーい!」と素直に聞き入れられる時分はそれでいいかもしませんが、既に出
来上がってしまった「当然」を全く新しい「当然」に入れ替えて頂くには最早「理屈」を丁寧にお伝えしなければならない
のだろうか?と思う次第です。その「理屈」は「言外」どころではなく「言内」の様な気がします。ごみのポイ捨てをして
はいけない、水の出しっぱなしはだめ、食べ残しを頻発させてはいけない、屋外で外部の「音」を遮断する癖を付けてはい
けない、人の話は自分がしゃべる前にまずは相手の話を聞き切ってから・・・これは最早「悪気が無い」の範疇では・・・
ないですね。「何故か?」と聞かれてわざわざ「理屈」と言う「言内」であるべき「言内」を説明しないといけない人達
が、実際たちまち増えているのであれば、「便利」さと言うのはいよいよその恩恵たるは何ぞやと正に「言外」を考える必
要が有りそうですね。また、「機械」に率先して指示されなくても出来る事はあると思いますので、そこの選り分けを一つ
でも多く出来る為に、色々な事に耳を傾けて様々な「言外」を知る事が大切なのかもしれませんね。私の上記御託も、どな
たかの「言外」か「言内」か一体どちらなのかとも思います。マスクをする中、日々暑いですので、暑さ対策も含め、体調
管理にはくれぐれも気を付けて下さい。