こんにちは。Wam四箇郷校です。梅雨明けまでもう少しかとはい思いますが、それに先駆けて暑い日がどんどん増えて参
りましたね。真夏日ももう少しで到来でしょうか?(笑)7月を間もなくにして、テスト期間井突入する学校が増えてきて
おりますが、毎度の如く「準備は滞りなく進んでおりますでしょうか?」月並みもいい所で、「自習」という言葉が有りま
すね。個人的に、この言葉の意味について考える時が有ります。「自習に来てね」「自習に来るように」「自習に来なさ
い!」どれも、言い回しのみ違うだけで、中身の意味は結局一緒なのですが、「それでは、どの様な言い回しをすれば、
言った相手は自習に来てくれると思いますか?」という質問ではありません。(笑)私からすれば、どの様な言い回しをし
ても、言われた本人は前向きな気がまずしないでしょうし、「上記」の「呼びかけ」をすると言う事は、その原因・背景と
して「学び」の時間が恐らく足りていない為に起きているとも考えられます。「自習」と言うのは、その言葉通り、「自分
の気持ち」から行う物だと思うのですね。「自分から」進んで学んで「習う」と言う気持ちが起きないと、物にならない行
為なのだと思います。そうなる為のきっかけは様々だと思います。ジャンルを問わず言えばですが!自分では当たり前だと
思っていた事を他の方からたしなめられて、真似をして自分のものにしようと思った時、興味のある分野をとことん追求し
てみたいと思った時、人と触れ合う事が楽しいと思える「行い」に出会えた時等、「「自分」で学んで実践してみよう!」
と思える可能性を含んだ場所は色々有るのではないか?と思います。「これでいい!」と言う自信は当然必要だと思うので
すが、「これで駄目な時も有るのだな」と言う柔軟性や学習能力も必要なのだろう、思ったりします。例えば、会話する事
が面倒になってしまうと、会話に拘わらず人と意思疎通をする術が一切無くなってしまう様で個人的には怖いのですね
(笑)だからこそ、色々な人がいる中で生活していると言う事を念頭に、大げさな表現ではありますが例えば「人」を学ぶ
と言う事は、生涯の「自習」のテーマに成りそうな気がします。将来的には、「自分からの気持ちから」で有れば、生涯的
に「自習」をする内容は、生活を営んでいける条件下で有れば何でも良い・・・、とは思うのですが、「自習」をする
「きっかけ」は、やはり満遍なく行う「教科学習」の中に有ると思うのですね。
本を読んで、様々な心の機微を持った人たちの存在を知ったり、世界の様子を探ったり、物質の理屈や原理を知ったり、異
国の言葉に触れてみたり、その中には結構「常識」や「教養的」な物も有ったりします。教科に限らず、「文章」を読み問
題を解く事によって、「筋道を立てる力」が知らず知らずの内に付いたりもする筈です。私自身は、それ、本当に大事だと
つくづく思います。いささかの言葉の行き違いは当然ながら有るかと思いますが、他の方のお話を「聴かない」のと「聴け
ない(聴く力が無い)」とでは大きな違いが有ると思うのです。そういう意味では、作業的に問題を解く事になる単純作業
を不毛的に行う時期もあるかもしれませんが、「何の為に勉強するの?」と聞かれたら、一つの答えとしては、「人の話を
柔軟に聴けるようにする」事になるだろうと思います。後は、論語の言葉を借りますが、「学んで思わざれば即ち罔(く
ら)し。思いて学ばざれば即ち殆うし」の精神を交えて、他の方からヒントを頂く精神が大切でしょうね。至極簡単に言え
ば「自習のきっかけを作る為に勉強しなさい!」かと思うのですが、こう伝えて「簡単に」「伝わる」のであれば、正に楽
な事この上ないのですが(笑)改めて、「自習」の「きっかけは」様々でしょうから、「伝わる」為の「伝える」「試行錯
誤」は永遠に続くのかも知れないですね。でも、敢えてですが「(生涯的な自習のきっかけを作る為に)勉強しなさい!」
と大人は言うべきなのでしょうかね?日々蒸し暑い日が続いておりますから、水分補給をする等、体調にはくれぐれも気を
付けて下さい。