こんにちは。Wam四箇郷校です。梅雨の中休みの様に、数日間晴天が続いておりましたが、昨夜辺りから再びの雨模様
ですね。気温の上下は緩むでしょうが、湿度は高くなるので、運動後等のやはり体の火照りには気を付けて下さいね。さ
て、今月末前後に、今度は期末テストが迫っている学校も多いでしょうから、もう、早くも予定を立てておられる方もい
らっしゃるかと思います。私自身が、情緒的になってしまう所が否めないのですが、ここ数年その「テスト前の予定の立て
方」で引っ掛かる所が有るのです。テスト前の勉強を「友達」と行う方、いらっしゃるかと思います。「友達」と言う存在
は、それぞれその存在や相手が違い、自分の感情を吐き出せたり素直になれるであろう「人」だと思います。押し付けるつ
もりは無いのですが、年を経る事にある程度の「距離感」や「わきまえ」が必要になって来ると思うのです。「親しき中に
も礼儀あり」と言う物でしょうか?「あの子がそうするから自分もそうする」→この文言の中に「自身の考えやその根拠」
が存在するか?と問われれば、あくまで「発言者本人」の「思惑」を「ほぼ抜き」にすれば「ほぼ」無い」と思います。し
かも、更に申せば「もし、自分に何かあっても、あの子がそうしたから」と無意識に、相手に対して「心の負担」を被せて
しまって居る様にも感じるのです。半ば私自身、自分勝手ですが。(笑)将来は、各方面に「得意分野」を持つ方が多くい
らっしゃるでしょうから、その方々の「知恵」や「知識」を借りて助けて貰う事が多くあるかもしれません。ですが、事あ
る毎に自分を取り巻く問題に対し、基本「相手がそうするから」と言う形を取り続けてしまうと、これは最早表現が悪いで
すが「依存」なのですね。「根拠」「信念」を以て「自分の事」を考えられていないのではないかと言う疑念が出てしまう
のです。表面上は全く同じ「その形」を取っているにも関らず、指導する側も学ぶ側も、双方満場一致で「満足」のいく
「結果」が出せていれば、殆ど「物言い」がつかないであろう所も、これはまた矛盾している様で滑稽だなと思います
(笑)でも実際そうなのですよね、これがまた。一つの定義ではありますが、きちんと自分の「立ち位置」や「状態」が恐
らく分析出来ていて、相手に「依存」しているかいないかのさじ加減も理解出来ているのではないかと思います。自分の
「軸」にしっかりと両足を付けられている上での付き合い方ですね。人に「親切」にしたり、時間を割いたり、「合わせ
る」と言う振舞いは、自分の事に対する「心の余裕」や「先の見通し」等の「担保」や「保証」が確約出来た上で行える事
と同じ様に、知っていたり好んでいる者が、楽しんでいる者にはやはり「及ばない」とされている様に、学ぶ事においての
「楽しみ」は、「ただ」一緒に居たり、行き来する「だけ」では事足らないだろうと思うのです。そこから、更に「学ぶ」
と言う行為が必要でしょうね。友人として「適切」な「距離感」を測る事は当然大事ですが、常に同じ「距離感」でいると
言うのは、考えるべき所が有ると思うのです。友人で一緒に居る時間が多いであろうだからこそ、何度も「その場」「その
時」の各々の「距離感」を測るチャンスが有ると思うのです。傲慢ではなく純粋な気持ちで「相手の事を自分が一番よく
知っている」と言う「自負」「自覚」が有るのであれば、それは自分だけではなく、お互いが気付き合う上での「測り合
い」が大切でしょうね。反語的に「もし満足のいく結果が出せなければ、「その友達」から「テスト」や「通知票」の「点
数」を貰えるのか?」と西浜校に居た時分も申して来たのですが、私からすれば、それが出来れば「本当の友達」だと思う
のです。極論ですが(笑)。そういう事を出来る権限を持つ方は現実どなたもいらっしゃいませんが、それが出来ないので
あれば、まずは自分の段取りを付けた上で、相手に「心の負担」をかけない為に、事前にお互いどうするのか?とお互い同
士の事を考え合うのが、実際の「本当の友達」の様に思えます。最近、喋り方が説教臭くなって来た感じなので(笑)、私
自身も客観性を見失わない様、色々な意味で気を付けよう、と思っております(汗)。遊ぶ・休む・学ぶのバランスを取り
ながら、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。