こんにちは。Wam四箇郷校です。早くも来週から、もう6月ですね。今週の水曜日の夜は、月食が見られるとの事でした
が、生憎の曇り空模様にて、私自身の目では、満足に確認が出来ませんでした・・・(汗)なるべくならば、梅雨空と夜空と
の「自然の調和」はこういう時はしてほしくないな~、と勝手ながら思った次第でした。「自然の調和」と申しましたが、今
回の中3国語のテスト範囲にて、「生命(いのち)は」と言う詩を学ばれたでしょうか?正に、「理科」の新教科書に新しく
出た用語、「虫媒花(ちゅうばいか)」「鳥媒花(ちょうばいか)」「風媒花(ふうばいか)」通りの「詩」だったので、
「タイミングうまい事出来とるな~」と思ったのは、私だけでしょうか?(笑)植物の種類によっては、自家受粉などが出来
ず、自分の力だけで咲く事が出来ないものが有ります。自然の中に存在する他の「存在」の力を借りて、その植物がその植物
として「存在」出来ていると言う事実に基づき、実は恐らく、生命全てが「欠如」と定義されるお互いに足りない部分を「補
い、支え合って」生きているのではないか?と言う事を問うている詩ですね。「補い合う」や「支え合う」と言っても、前半
では「花」「虫」「鳥」「風」等、「立場」や「事物」の例を出して「具体的」に、後半においては、いわゆる「何が」や
「何を」と言った「主語」を省き、そこを「抽象的」にぼかしていると言う事は、「生命」それぞれに「補い合った」り、
「支え合った」りする物や事が、「生命」それぞれ色々な物に当てはまる様、「普遍性」を持たせたのかもしれないですね。
生きている中で、恐らく「支え合う物」「補い合う物」と言うのは、その場その時、また、人であればその人によって違うで
しょうから、人それぞれの感じ方、解釈の仕方が有るでしょうね。「具体的」な話になってしまうと、「違い」が出て来てし
まうでしょうから、メッセージ性として「普遍的」「抽象的」な理解が必要なのでしょうね。例えば、私自身「心」が支られ
ているな、と感じる要素の一つとしては「他人の人生の一端」かと思います。例えば、「以前」ですが、大阪に出かけてみる
と、出先で色々な人が居るのですね。当然礼儀上、聞く内容や、限度も有りますが、恥ずかしがらずにこちらから質問すれ
ば、流れ上かとも思いますが、基本訝しがらずに答えてくれるのです。私の場合はですが。私が(ですが)食べている物につ
いての疑問、出身地や、外国の人であれば日本に来た目的や、どんな仕事をしているか等から、更に会話が広がったりしま
す。あと、個人的な経験ですが、英会話であれば、中学の文法内容がきちんと出来ていれば、そんなに不足はないと思いま
す。言葉の壁としての齟齬も楽しめれば、もはや「普通の会話」の様な気もします。面接では無いですが、自分の考えを言葉
にして何とかして伝えようとする姿勢が大事なのだと思います。後は、分からない単語が有れば、グーグルや自動翻訳システ
ムも有りますしね(笑)。・・・と話がそれましたが、色々な人と話をさせて貰っていると、世の中で頑張ってらっしゃる
色々な方の「素の声」が聴けるのですよね。異国の地の中の更に異国の地で孤軍奮闘されている方も含め、他人の「素の言
葉」に触れると、自分も頑張らないといけないな、と思うのですね。しんどい気持ちになる時が有っても、つい言ってしまう
言葉を別の「やる気」に変えないと、とも思ったりもします。「嘘をつく事」ではないですが、自分の事ばかり考えて、つい
「人前」で人を悪くいってしまうと、引き下がれなくなってしまうでしょうから、余計に頑張れなくなってしまうと思うので
す。「他人の言葉に触れる」上で大切なのは、「他人本人」の直接的な「頑張ろう!」と言う気持ちや、間接的な「自分本
人」が「頑張ろう!」と思えそうな気持ちを「分けて貰う」事だと思います。その上で、遊ぶ・休む・学ぶのバランスが取れ
れば尚良いでしょうか?(笑)「生きる力」を「分けて貰い」「自分の心を支えて貰う」と言う意味では、会話をしたり、文
章に触れたりして、「他人の言葉に触れる」事は大切なのでしょうね。次のテスト迄あと1か月程かとは思いますので、優先
順位を元に計画を立てながら、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。