こんにちは。Wam四箇郷校です。ゴールデンウィークが概ね終了して、学校が再開しましたが、体内時計のリズムは崩れ
ていないでしょうか?連休が続いて、思い思いの休暇を過ごされたかとは思われますが、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と
言う事で、例えいついかなる時も、バランスの取れた規則正しい生活がやはり一応の理想でしょうね。昼間は上着を着ている
と汗ばむ陽気な事も有り、「実際の暦の上」では間もなく「夏」ですから、自分の身体をしっかりと守っていきましょう!さ
て、学校が再開し、都道府県の一部の学校では、オンライン授業と学校現地での集団授業との間に、「給食」を織り込む所が
有る様ですね。私自身も、実際の風景を報じた映像を目にはしましたが、細かく窓分けされた一つ一つの画面の向こう
に目を光らせるには、ある程度の時間や慣れが必要になって来るのではないかと言う、先生方の戸惑いや苦悩も感じて取れた
次第です。画面の向こうが余計に暗いと、「こちら」が光らせる事になるとすれば余計に疲れてしまうでしょうから、画面の
「向こう」は出来るだけ「明るく」しておく必要があるかな、とも思われます。先日、「焼きそばパン」を例えに出したので
すが、いわゆる「いい所取り」だけをすると言うのは本当に難しいと思います。知ったような言い方になりそうですが、一つ
の所に集まり過ぎても好ましくないでしょうし、かといって友達と会えない日々が続くのも忍びないでしょうから、じゃあ
「真ん中を取ろう!」と決して「単純」な気持ちで「真ん中を取る様な事」をしたわけでは無いと思うのですね。だからこ
そ、「いつも通り」の大切さが尚更重宝されますが、その「いつも通り」が立ち行かなくなった場合、新しい「いつも通り」
を作る必要が出て来るでしょうね。とは言っても、「仮住まい」で終わりつつある「場所」も出て来ている様ですから、「長
期的」に見ればいつまでも続かない事を切に祈りたい物ですね。先日の宣言通り、「北の国から、時代」を見直したのです
が、五郎の「今の農業はどんなにうまい作物を作っても、食べた人から直接有難うと行って貰えない」と言う言葉の中の「直
接」と言う言葉が、改めて「今」の私に引っ掛かったのです。「話」を戻して「給食」の是非です。「フライビーンズ」「フ
ルーツヨーグルト」「パスタ各種」パンに付いていた「ジャム」等、私自身も思い出深いメニューが有ります。ただ当時は単
純に「おいしい!」「早くお代わりがしたい!」「好きなメニューが出る日はうれしい!」等本当に「単純」な理由や気持ち
で食べていました。「給食」を「非」と考えている方々を批判すると言う意味では無いのですが、この「給食」を止めてしま
うと「食材」の「行き場」がどうなるのだろうか?と思うのです。もっと掘り下げて言えば、「食べ物」を通して「生活」し
ている方々の「行き場」です。「作物」を作る人→「それ」を市場やお店で売る為に「直接」買ってくれる人→目的地へ「配
送」する人→「加工」「調理」する人etc・・・ざっとですが、色々な「食べ物」を通した仕事が有ります、(まだあるかと
は思います。)そこまでは、さすがに考えながら「給食」は食べていなかったです。最近では某おとぎ話をモチーフに皮肉る
様な「CM」も出て来ている位ですから、そういった事が毎日の様に起こる事もそう不思議で無くなるかもしれません。それ
でも否であれば、更に「真ん中の真ん中になりそうな所を取る」と言う様な話も出て来るかも知れないですが、それ位多くの
人に納得して頂ける「真ん中」の位置取りって本当に難しいと思うのですね。その上で五郎の「直接」と言う言葉ですが、
「今」は恐らくその様な事は無いと思うのですね。「電波」や「映像」を通じて「繋がったり」「発信」する事は容易になっ
たと思いますから、「前向き」な「言葉」を「離れていても」かけたり、残したりは出来るでしょうし、逆に「直接」でなく
ても食べる時の「姿勢」「礼儀」で示すことは出来ると思います。どちらもそれぞれの違った「味」が有ると思いますが、や
はり昔気質の五郎からすれば、当たり前でしょうが「言って欲しい」と言う意味では無く、「言って貰えるのであれば」突き
合わせた体同士の会話での直接の声で聞ければと言う意味では無いかと思います。そこまでの「ありがとう」は、もしかした
ら「時代」に逆行する様でしょうが、やはり「有難い」事なのでしょうね。まだ、昼夜の寒暖のさが大きいですので、体調に
はくれぐれも気を付けて下さい。