こんにちは。Wam四箇郷校です。4月も半ばに入り、早くも「目指せ!ゴールデンウィーク!!」と言う雰囲気が漂う様な
個人的な今週でしたが、体調等は崩されていないでしょうか?その連休期間を前に、いきなりですが「天網恢恢疎にして漏ら
さず(てんもうかいかい、そにしてもらさず)」と言う言葉が有ります。過去のドラマ、「3年B組金八先生」の中でも出て
来る知る人ぞ知る言葉です。「天網」は、空(天)取り巻く網、「恢恢」は取り巻くその網のゆったりさを表現しています。
見方を変えれば、その網は広く取り巻かれているが、目が粗く、肝心な物を捉えられないのではないか?と言う欠点を表して
いる様にも見えます。ですが、容赦なく(「疎(おろそ)」かにせず)、特に「悪事」は捉えると言う意味です。もし「ピー
ン!」と網が張っていると、「網」の方からすれば正に相手を捕まえる気満々で、当然こちらからすれば、まず「警戒」して
しまうと思うのです。ですが、網の方からして、相手に対してわざと「意図的」にゆったりさを醸し出しているとすれば、む
しろそちらの方をより「警戒」する必要があると思うのです。人それぞれに、「美学」や「価値基準」は有るとすれども、例
えばですが、もしも、もしも「物」に感情が宿っているとすれば、その「物」によって「自分」と言う「人間性」を試されて
いるのではないかと言う風にも感じられる様な気もします。「悪事」と表現すると、かなり行き過ぎでしょうし、現代におい
ては「それ」と言う以前に、むしろ網の目の立場が「人為的」に「逆」にされていそうな気もします。そして、その網の目の
範囲は、更に「物魂」の定義も含めれば、人が生活する地上にも及ぶのだろうかとも考えたりします。「悪」を捉える筈の張
り巡らされた網の目が、人の手によって、網の目自身の「善悪」を都合よくすり替えられている様にも見えたりします。も
し、そうなってしまって居るとすれば、もはや、実質「人間同士」の不毛なやり取りになっている様な気がしてなりません
(勝手ながらですが(笑))。と、抽象的な話が続いてすみません。ケの日ハレの日ではないですが、普段のどうでも良いと
感じそうな「情報」と、神経を過敏にさせられかねない「情報」が入り乱れる昨今、やはり、「普段のかねてからの行い」と
か、「自分」と言う「軸」をしっかり持つと言う事は、やはり大事だと思うのです。自分の、自分達の事をアピール、主張す
る事が恐らく以前と比べて「気軽」に行える様になったと思います。私なりに「重い」表現をすれば、「昔」より「簡単に」
「人の本音」を「透かして見る」事が出来る様になったと言う所かと思います。何でも「焼きそばパン」の様に上手く行
けば良いのですが、もっと言えば、「本音」を「透かせる」様になった分、逆に「本音」に余計に蓋をしてしまう事も考えら
れそうです。発生による「声」で有ろうと、その「活字」で有ろうと、「会話」や「文章」と見なされるものであれば、「意
味」が発生し、読み手の感情を動かす「言葉」になり得る筈です。ただ、私自身も有ったのですが、「「全く同じ事」しか
言っていないのに、どうしてこの人が言うと「力」を持つのだろうか?」と言うシチュエーション、皆さんは有りましたで
しょうか?私自身、凄~く悔しかったのです。いわゆる「言霊」と言う物でしょうか?「気持ち」と言うとどんな風にも考え
られるしょうが、その「気持ち」を「遵守」して込めずに「形」だけの「意味」の言葉として解釈してしまう人の存在が「普
通」になってしまうと、私自身勝手な予想ですが、正に「機械的」な世の中になってしまう様な気がします。「余計な事」を
しない、言わない、考えない、「活字通り」にその言葉の意味を受け取り、何も言わずに使い手の「思惑通り」に「実行」し
てくれる存在、私の見解も入りますが、それが恐らく「機械」と言う物でしょうから、そちらを「信用」する人の存在もそれ
また「普通」になってしまうのではないかとも思います。いわずもがな、マナーや、基本的な「人とのやり取り」が大切なの
は、「人間」からでないと学べない事が有るからでしょうね。「普段の行動」って「つい」出てしまいますからやはり大事な
のだと思います。また、「世界に広がる網の目(クモの巣)」は何の為に使わせて貰い、自分がその網の目で「受け止めて貰
う」必要のある物は何か?と言う事を考えた時、私は少なくとも、「機械的な言葉」やこれ見よがしの「悪」は無いと思いま
す。かなり堅い話になってしまいましたが、出来得る限り、いつも通りの事をいつも通り行い、体調にはくれぐれも気を付け
て下さい。