こんにちは。Wam四箇郷校です。今週は入学式かつ始業式と新年度がスタート致しました。お休み中に体内時計がずれ気
味になってしまっちゃった方は、徐々に修正して参りましょう!かつ、昨日の授業の会話でも有ったのですが、朝ご飯は大な
り小なりよく噛みながら食べられた方が良いかなと思いますので、そういう意味でも体内時計は修正して参りましょう!さ
て、春到来・・・と言う所で、先日俳優の田中邦衛さんがご逝去されました。10代20代の方にはなじみが薄いかも知れませ
んが、例えば私からすればですが、「北の国から」の父親役がとても印象深い方です。私が中学生当時の2年の国語の教科書
に掲載されていたのですが「文章」と言う形ではなく、あくまでも「脚本」と言う形で記されていた事が思い出されます。参
考学習として、当時の連続ドラマの映像も拝見しました。もう、随~分前ですが(汗)自発的に「見よう」と思った時が、
私、大学生の頃で、歴代のスペシャルドラマを暗室内で夜通しぶっ通しで見ておりました。今回の報を受けて、はっと思い出
した様に当時の事が思い起こされたのですが、この田中さん、既報内容でもある様に、本当田中邦衛が本当なのか、黒板五郎
が本当なのかどっちが本当の実在人物なのか分からない程シンクロしていて、これ「素」でやっているのではないか、と言う
位の「自然体」さが私からすれば伝わって来るのですね。明石家さんまさんや小堺一機さん等、著名人の方にものまねされて
いた程で、ご本人には失礼かと思いますが、ものまねの「され易さ」言い換えると「し易さ」と言うのは、その「シンクロ
率」の高さや「自然体度」の高さを裏付けているかの様にも思えます。家や発電機を自分で作ったりする、有り合わせの物か
ら何かを創ったりすると言う描写は、今の時代からすると「面倒臭い」とか正に「時代遅れ」と感じそうですが、五郎の遺言
にも有る「自然から頂戴する」と言う言葉は、全ての物事の起源は「自然」から始まっていると言う意味では、通じる物が有
る、と感じたりします。それを理解しないまま、今の「便利」さに慣れすぎて、どっぷり使ってしまうと、「面倒臭い」が間
違った方向に偏ってしまって、「耐える」力が養われなくなったり、「自然」より人間優位と勘違いしてしまいそうな懸念も
ひしひしと感じます。色々な意味で、「自然」に感謝する事と、自分の手足を動かす事が大事と、今振り返ってみると「警
告」されている風にも感じるのですね。例えば、住んでいる(住まわせてもらっている)家の素材を考えてみると、やっぱり
そうだと思うのです。話変わって、五郎と言う人物は本当に、実直生真面目で、頑固で融通が利かない職人気質の性格です
が、裏を返せば、子どもを思う気持ちは、見ていて「情けなく」なる程、私からすれば純粋に映ります。子供が例え間違っ
て、人様に迷惑をかけたり、道を踏み外す様な事をしたとしても、子どもの代わりに謝ったり、感情的になったり、頭を下げ
ると言う行為は、言わずもがなとは思いますが、決して「勘違い」して見てはいけないと思うのですね。決して甘やかしてい
るのではなく、「親」だから敢えて「味方」をしていると言う事なのですよね。子供の分まで「情けなさ」を引っ被ってくれ
ているのは、やはり「親」だからなのでしょうね。甘やかしているのではなく、それどころか自分が「親」になった時のもし
もの姿を正に「背中」で見せている様にも、伝わるのですね。自分や自分の周りで、何かと上手くいかない事が続くのは、確
かに「情けない」でしょうが、存分の「情け」と言う「愛情」が有ると思います。以前のブログでも記したのですが「親子げ
んか」言うのは「親子」だから出来るのだと思うのですね。改めて。「今」の「時代」ではその「親子」の定義もそれぞれで
すが。ひいき目に見てしまう所が有るのですが、私個人の好きなシーンとして、「98‘時代」の蛍の結婚式のダイジェスト
シーンが有ります。中島みゆきさんの「時代」がフルコーラスで流れる中、過去の回想シーンと織り交ぜながら、五郎が我を
忘れたかの様に「酩酊しながら」蛍を祝い、純に抱き抱えられながら、帰路につき、酔いつぶれて寝てしまうまでの物なので
すが、よっぽど嬉しかったのでしょうか?ドラマ本筋からは逸れる形で、中島さんの「時代」には当時既にいくつかのバー
ジョンが有りましたが、個人的にはこの場面で「時代」を流すならば、やっぱり「この」「時代」じゃないと駄目だ!と言う
所が有るのですよ(結果論ですが)。「知るかっ!」って話ですが(笑)長々とすみません。今年のゴールデンウィークに、も
う一度見てみようかと、思った次第です。昨今のニュースで少しざわつき始めていますが、まずはいつも通り「基本」を
「守って」体調にはくれぐれも気を付けて下さい。