教室ブログ

2021.03.10

「古典はオワコン」論の浅はかさ

こんにちは。個別指導Wam小宮町校です。

 

最近,ある実業家(?)がTwitterに〈古文・漢文は、センター試験以降、全く使わない人が多数なので、「お金の貯め方」「生活保護、失業保険等の社会保障の取り方」「宗教」「PCスキル」の教育と入れ替えたほうが良い派です〉と書き込んだことが話題になっているようです。

 

なるほど,実生活で古文や漢文を使う場面はそうそうないでしょう。

古典を学ばなくても生きてはいける,ということはできそうです。

 

その考え方に習えば,天動説でも地動説でもどちらでも構わない,ということになりますね。

なぜなら,「太陽が東から出て西に沈む」ということには変わりないからです。

 

昔は,百姓には学問はいらないとか,嫁に行く女が学校になど行く必要はないとか,そんなことが言われていました。

農作業や家事のことは親や姑から習えばよいのだ,という考え方です。

 

ここまで読めば,もうおわかりになると思います。

勉強の必要性は,実生活で使うかどうかで決めるものではないのです。

 

古文にせよ,漢文にせよ,そして現代文にせよ,文章を読み,そこから何かを感じたり考えたりすることによって,心が豊かになったり,視野が広がったり,考えが深まったりするものです。

つまり,文学作品に触れることで,人間として成長することができるのです。

 

PCが使えて,お金が貯められる人であっても,薄っぺらな人間のまま生きるのは,寂しいものです。

周囲の人から便利な存在だと思われはしても,尊敬されることはないでしょう。

 

日本国憲法第25条に「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあります。

「文化的」に生きることが,人間らしく生きるということなのです。

 

 

教育を実用的か否かで短絡的に選別するのは,極めて愚かな発想だと言わざるを得ません。

 

これからも中高生には,古典を含む文学作品を大いに学んでほしいと思います。

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