こんにちは。Wam四箇郷校です。雨降りで、再び寒い日が戻って来ましたが、体調の方は崩されていないでしょうか?中
学・高校の方では、定期テストの実施または返却の頃であろうかと思います。間近に迫っている新年度に向けての課題も各々
あろうかとは思います。さて、先週は教科書改訂のお話を致しかけて、国語の教科書についての「抽象的」な事に終始してし
まいました・・・(汗)。和歌山市内の中学2年の方は、最近の国語にて太宰治氏の「走れメロス」を学習されたでしょう
か?人を信じ切ろうとする主人公メロスと、人間不信になってしまった暴君ディオニスとの、各々の対照的な振舞いが特徴的
な作品ですね。私自身、2人の主張はどちらも「至極真っ当」だと思うのですよ、二人共。単純に「正しい」と「間違い」等
の選り分けではなく、人であれば、どちらの様な「考え」を持つに至っても決しておかしくないと思うのです。この作品につ
いての話をしていると、私自身も本当に「ちら」とどちらかと言えばディオニスの方に肩入れしてしまいそうな錯覚に囚われ
る気持ちにもなります。錯覚しつつ、勝手ながら同情の様な気持ちも感じます。彼自身の言葉の通り、恐らくですが、過去も
しかすれば本当に「死んだ方がまし」と思える位の「嫌な経験」を浴びる程して来たのあろうか?と察せそうです。彼のメロ
スに浴びせる言葉には、つい「感情的」になって「そんな事ない!」と言い放ってしまう様な、辛辣で聞くに堪えない事ばか
りが並びます。意図的に「言い放させようとしている」と言う方がもしかしたら正しいかも知れない、と私からすれば思って
しまう程、ディオニスはそういう言葉を並べる割には、至って理論的で冷静に読み取れるのです。それも、彼自身の「経験」
故の事なので有ろうと推測出来るでしょうし、ここまで「正直」に「はっきり」と言える事にむしろ「天晴!」とも思えるの
です。・・・でも、自身の心境を「孤独の心」と表現しているのです。実は、「死んだ方がまし」と思う程までの嫌な経験を
積み重ねながら、人を信じ切ろうとしていた気持ちの裏返しなのではないかと思えたりもします。だから、悪しからずです
が、その分王様を否定しないですし、かと言って正当化もする訳では無いですよ(笑)。この作品の大きなテーマは「人を信
じる心」または「どのような困難が有ったとしても人を最後まで信じ切れるか」と言った物だと思います。それ故、メロスが
「簡単」にと言っては語弊が有りますが、正義の味方や、「信実」の精神を最後まで貫き通した「勇者」と持て囃されてはや
はり「説得力」が無いでしょうから、幾つかの「艱難辛苦」を乗り越えた上でと言った筋書きは、やはり必要なのですよね。
「体調」はきちんと整えておかないと「集中力」や「冷静な判断力」が低下してしまうと言う事は、「現代」においても通じ
るでしょうし、また、それによって「邪(よこしま)」な心を少しでもつい持ってしまう事も決して「他人事」では無いと思
うのです。これは、ディオニスについてですが所謂「一人合点」もそうですね。「経験」に基づいた「杓子定規」な「考え」
を「無責任」に人前で振る舞って、人の心(メロスの物言いを借りれば「真紅の心臓」)を針で突き刺すような様な事をして
いないか?自分自身を見直す教訓にもなりそうですね。一体、セリヌンティウスはメロスの事を、ディオニスにどうからかわ
れたのか気になる所でもあります。私自身、3人共、人の心に対し、その時の自分自身に対し、凄く「正直」だとは思いま
す。「正直」に生きようとして、苦しむ必要が有るのだとすれば、「真っ当」に生きるのは本当に難しい事であるなとつくづ
く思う次第です。別に言わなければ一生相手には分からないのかも知れないのに、お互いに不信感を一瞬でも持ってしまった
事を恥じて、わざわざ「自分を殴ってくれ」と言い合ったメロスとセリヌンティウスの姿には、簡単に「自分を信じてくれ」
と言ってしまう人へのアイロニーにも受け取れそうです。もしかすると、言う事成す事全て自体が、「一人合点」になってい
るのではないか、と言う訴えがこの作品から伝わってくる様な気がするのは、私だけでしょうか?(笑)公立高校入試まで1
週間を切りました。風邪等ひかない様、体調管理にはくれぐれも気を付けて下さい。