勉強に限らず、何事においても重要なことは、「質」です。勉強でいうと、大量の問題を解くことよりも、一回の授業や1つの問題でどれだけ多くのことを学べるかということが重要視される場合があります。いわゆる「一を聞いて十を知る」ということなのでしょう。確かに、同じ1回の授業なら、その中でなるべく多くのことを学べた方が良いに決まっています。無駄を省くことは良いことだ、と多くの人が賛成するでしょう。
しかし、こうした「質」を求めるあまり、それしか見えていない人が多いように観察されます。つまり、努力を最小限に抑え、効率良く何かを得ようとしている人が多いように感じます。子どもであっても大人であっても、です。要するに「楽をしたい」という考えに捉われているわけです。
もちろん、「楽をしたい」と思うことそれ自体は悪いことではありませんが、それを手に入れるためには、それと同等あるいはそれ以上の「苦」を受け入れる必要があると思います。同様に、「自由」を手に入れるためにはそれ相応の「不自由」を受け入れなければならないと考えています。ここにあるのは、要するに「交換」です。何かを得るときには必ず別の何か(実体のあるなしに関わらず)と交換しています。例えば、洋服を買いたいから食費を抑える、といったことです。その人の中で、洋服と食べたいものを我慢するということのそれぞれの価値が天秤にかけられ、洋服の価値の方が上回れば、洋服を買うために食費を抑えるという行動をします。何に価値を見出すのかは人それぞれですので、洋服を我慢して食べたいものを食べる人もいるでしょう。
つまり、何事においてもこのような「交換」の原理が働いています。そして、それなりの「質」を得るために必要なのは「量」です。最初から質に拘るのではなく、とにかく量をこなすことが、質の獲得につながります。量をこなしているうちに、その対象に関する重要なことを抽出していくことができます。ある瞬間から、量が質へと転化します。そうやって獲得できたものは、自分の自信にもつながりますし、別の分野へと応用できたりもします。
しかし、近頃は何かと「手軽さ」や「効率」が強調される傾向があるように感じます。量をこなさずして質を得ようとしても、結局それは長続きしませんし、たとえ質が得られたとしても、それと交換したものの価値が低いので、得られる質もその程度のものでしかありません(もっとも、「それでも自分にとってはその質に価値があるんだ」と考える人がいても、それはそれで構わないと思います)。最初から楽をすることに汲々として質を追いかけていても、結局はそれ以上のものと交換していることになります。それに気づいた方が良いでしょう。