こんにちは。Wam四箇郷校です。一日早い節分でしたが、恒例の巻き寿司やイワシは食されたでしょうか?因みに立春も次いで一日早かっ
たですが。昨日授業中、「暗くなるのが遅くなった」との指摘から、私自身も思い出したかの様に「そうやなぁ~」と相槌を打ちましたが、そ
ういう意味でも、もう、春なのですよね。徒然な話ですが、かつて週刊少年ジャンプで連載されていた「ダイの大冒険」が、声優陣を一新して去
年の秋頃からリメイク放送されている様ですね。私も最近まで知りませんでした(汗)「ビックリマンチョコ」ならぬ「ダイの大冒険チョコ」
なる物も発売されている様で、いつ色々な意味で再燃されるか、少し期待しておる次第です。(※過去を知る人ぞ知るですが、中身のチョコも
「フードロス」を誘発しない為に敢えて申しますがきちんと食べましょう!)私個人的な「黄金期」の作品の一つでして、奇しくも「某海賊
物」とほぼ入れ違いで「ジャンプ」を卒業してしまいました・・・。再開を知った事が引き金となって、最近書庫に眠っていた単行本や愛蔵版
なりを読み返していたのですが、「感情移入してしまうと言うのは、恐らくこういう気持ちなのだろうな」と言う心持ちは、どの作品にも共通
しているのでしょうね。全部を一から読み直すのではなく、全ての流れが一応分かっているから、その上で意図的に場面を選択して読み返す時
は例えばないでしょうか?この度の私の読み返しはその流れでした。一個人として強く「共感」出来たり、自分自身の人格や性格形成の基に
なっていたりする場面、もっと言えば、読み進めていく上で、昔から今現在の自分の自叙伝を紐解いている様な気持ちになるとすれば、原点に
返るではないですが、「自分と言う人間を改めて見直してみる作業」なのでしょうね。個人的感情が入りますが、私自身が強いて選ぶ人物は二
人で、魔法使いの「ポップ」と魔王軍の「ハドラー」です。この二人は当初それぞれ違った形での「保身」の傾向が有りました。ポップの場合
は「強敵」や「難題」が目の前に降りかかると「萎縮」し、逃げ癖が付いていました。「命が惜しい」とか「誰かが何とかしてくれる」と言っ
たいわゆる「他力本願」の「保身」ですね。片や、ハドラーに関しては、一度かつての勇者アバンに倒されましたが、大魔王バーンの力によっ
て更なる「強さ」と「権力」を得ました。それらを何としても守りたいが為の「保身」ですね。これら違った形での「保身精神」は相戦う中で
変化していくのですが、まず、ポップは凄く表現が悪いですが「人間臭い」のですね。本来であれば「狼狽」するであろう次々と訪れる「修羅
場」や「ピンチ」の中で経験を積んでいく毎に「冷静さ」や「的確な判断力」「時折見せるリーダーシップ」等を身につけていく所、言葉通り
の「人間的な成長」はポップだからこそ見せられる(魅せられる)所でしょう。片やハドラーに関しては「卑怯」や「姑息」で、または「与え
られた」だけの「魔力」や「戦力」に溺れる様な描写が有りましたが、超魔生物に転身したあたりから、性格に変化が見られる様になったかと
思います。(超魔生物に転身すると、二度とバーンの力で生き返る事が出来ないので、その後ろ盾を捨て去る事になります)それまでは、「与
えられた力」であって「自分自身の実力」では無い、と悟ったからかもしれません。宿敵「ダイ」に敬意を表し「命を懸けて」真っ向挑む描写
は、「悪役」にも拘わらず、違う人物を見ているようです。とだらだら述べた上で、この二人が相対する私個人の印象深い場面が有ります。最
終決戦バーンパレス編内で、キルバーンの放ったバーニングクリメイションの炎の中での上記二人のやり取りです(興味のある方はまた調べて
みて下さい)。かつてお互い違う形での「保身精神」を持っていた二人が、お互い違う形での「命を懸ける覚悟」が垣間見られる場面です。か
つての「悪役」が「敵」にも拘わらず身を挺して、炎から人間の神に祈ってまでもポップを守ろうとするハドラーには、鬼の目にも涙は少し誤
用でしょうが、個人的には「刺さり」ました。皆さんの方も「作品」が違っても、「刺さる」場面は有るでしょうか?某海賊物だったり、某太
刀回り物であったり同じ「ジャンプ」にしても色々有るとは思いますが、それぞれの「思い入れ」が有るかとは思います。私自身の久方ぶりの
「読み返し」でした。夜が特に寒いですから、手洗いうがいを励行し、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。