こんにちは。Wam四箇郷校です。今週、大寒が有ったにも拘わらず、「暖」が戻ってお昼間は比較的暖かったですね。少し
暑い位でしたが(笑)さて、大学受験生の皆さんは、共通テストを受けられた方がいらっしゃったかと思われます。今週は数
日をかけて、国語の問題に目を通しておりました。「一問」でも多く問題を解いて、「1点」でも多く得点を取る事が命題で
すから、問題の中身まで吟味と言うのは現実中々難しいかも知れませんが、個人的には余裕が有れば、不意・奇遇な読書の機
会では無いですが、時間を取ってゆっくり読んで頂ければ、と思う次第です。①時代毎の妖怪に対する認識についての評論②
恐らく図らずも疎遠になってしまった、かつてお世話になった人とのやり取りを回想しながら案ずる小説③亡くしたばかりの
妻を強く思いやる故の悲しみの故に、「諸行無常」を受け入れ切れない夫を描写した古文④恐らく乗馬の心得を記した漢文
等、「問題を解く」観点を離れてみてみると、現代においても「身近」な「形」や「意味」で「表象」出来る物が有ると思い
ます。①は妖怪ウォッチやゲゲゲの鬼太郎などでしょうか?②はいわゆる人間関係における「ギブアンドテイク」「義理と人
情」③自分にとって「愛しい人」は誰か?④については、これはもういわずもがな「競馬」でしょうね。例えば「世相」や
「日常生活」「社会生活」または「晴れ(ハレ)の日」に等、色々な場面場所にて投影された人の心をよくも悪くも如実に表
している様にも個人的には見えます。妖怪と言う「定義」は、現代の人間にとってどういった存在であるべきかを考えた時
に、身近でフレンドリーで、また「商業的」な「一助」として役立つ存在で良ければ、先述した様なアニメキャラクターの様
な「定義」で良いのでしょうね。ただ、マイナスの感情が働いて、実在の「人」を「妖怪」の何ぞやと「単純」に「定義」し
てしまう事は「倫理上」本来は避けたいですが、反して「周囲」に「規律」「規範」を「遵守」させてくれる「生産的で前向
き」な「恐怖」の「対象」として、いわゆるそういった時等に「表象」される「古風」な「妖怪」の存在は、私自身、あって
しかるべきだとは思います。皆さんにも、そういった「妖怪」は存在しないでしょうか(笑)。「ギブアンドテイク」につい
ても、相手がどう言ったきっかけ気概で「ギブ」してくれたかをしっかりと考えてみる事は「どういう形で」「テイク」する
か(し続けていくか)を考えるきっかけになると思います。相手の心情を推察してしまうが故に「ギブ」に対する「後ろめた
さ」を感じる事は、以降恐らく人間関係の中で有るかも知れませんが、「理想」として、その時の自分に出来る「厚意」によ
る「行為」で行うべき事だと思うのです。物やお金、その場の思いやりだけではでなく、私は「苦言」も一つの「誠意」や
「お返し」と言う意味での「ギブ」や「テイク」になる時は有ると思ったりします。「恩義」はともかく「後ろめたさ」を持
つのは逆に相手に対する「仇」にもなりかねない気がします。妻を亡くした夫の心中を推し量りかねますし、これはあくまで
昔話で、亡くした後にその方の歩んできた軌跡を辿る事になる事も有ろうかと思いますが、一つ言える事は、家族や身近な人
等を、出来得るだけ悔いを残さぬ様、大切にすると言う事は今も昔も変わらないと言う事ではないかと、「夫」の悲し
みに感じる所が有りますね。馬を見る目や人を見る目がある人、と言われる人は存在するのでしょうが、そう客観視されるま
では、それ相応の「経験」は必要でしょうし、また、馬もやはり動物とは言え、相応の意思、解答の言葉を使えば、「心」を
持った生き物でしょうから、ぞんざいに扱う様な思い通りに動かそうとする様な行為は、やはり人間の傲慢さ極まりない、と
言われている様な感じです。それは他の生き物にもつながる道理でしょうね。と、ど素人目線で申してみました(笑)。勝手
ながら「風のシルフィード」いう漫画を思い出しました。第二日程が迫っている方も居ると思いますが、二次試験の準備をす
る方も、他の学年の受験生の方も、当然他の方もですが、以降の日程をこなす為に、手洗い・うがい等を励行し、体調にはく
れぐれも気を付けて下さい。