こんにちは。Wam四箇郷校です。1月も早や半ばに差し掛かりますが、体調の方はいかがでしょうか?週末は、再び寒が戻
る、との報の様です。新年が明けまして、あちらこちらの学校で入試が始まる(始まっている)かと思います。思い思い、過
去問題もやり込まれて来たでしょうか?先週の続きにはなりますが、現代文の添削で触れた物がもう一つありました。国語学
者・斉藤孝さんの「読書力」と言う著書の一端です。斉藤さんは、少し古いですが、「声に出して読みたい日本語」の編纂
や、現在では「全力脱力タイムズ」や「情報7DAYS」等の出演でおなじみでしょうか?端的かつ抽象的に表現すると、読書
する事の意味や重要性を記した物になると思われます。例えば実際、本に書かれていた事を先に経験するか、後に経験するか
で、その事に対する実感の持ち方(持て方)が変わって来る現象は、日々生活している中で、中々趣深い所が有るなと思いま
す。実際の熟練された経験が先に回って、同じ様な内容を活字で目にした際は「現状の自分の目線」で「提案」や「批判」を
したり、興味深く耳を傾けたりする事が有り得るでしょうし、逆に「実際」の「経験」が後回しになる場合、いわば「未経
験」の「世界」を先に経験する際は、その世界で通じる言葉の理解さえ、初めはままならなく、頷きや納得少なく、何を言っ
ているのか分からないと言う事を少しでも減らす為、とにかく気持ちだけでも食らい付いていくのがやっとの場合も有るで
しょうね。「自分自身の生き方を肯定してくれる様な著者を探し、自分自身を勇気づけていく」と言う斎藤さんの一文が有り
ます。結果的に「その方の物言い」が、正しいか間違っているかはとりあえず置いといてですが、自分の考えや方針、やり方
が間違っているのではないかと不安になった時に、自分以外の方の「同じ様な言葉に触れる」事は、自分のぶれない「軸」を
作る為には大切なのでしょうね。著書ではその「軸」作りを「自己形成」と表現されております。同じ見方の味方が出来れ
ば、心なしかでしょうが心強い気もするでしょうし(笑)また、読書ではないですが、今週火曜日からスタートした「オー・
マイ・ボス恋は別冊で」と言うドラマの第1話を先日視聴しました。主演の女優さんが、見た感じ「偉そうな上司にこき使
われて、疲労困憊している」様に見えますが、正に結果として「正統的周辺業務」のオンパレードだったのには甚だ「感心」
しました。まあ、ドラマの世界と言えばドラマの世界ですが・・・(笑)周りから見ても、実際行ってみても確かに「雑用」
ではあるが、何故その雑用を命じられたのか、その雑用を何故行う意味や理由が有るのか、それが分かれば更に問題の奥に入
り込んでいけるでしょうし、感情的になる事も抑えられるのかもしれませんね。未だお昼3時にも拘わらず、終業の指示を出
す代わりに、指定の和菓子を買っておいて、と言われたのもぬか喜びで、その和菓子を買うのに2時間待ち・・・と言うオチ
ですが、現実世界として引き込んだ見方をすれば、上司はその2時間を予め計算していたのかもしれませんね。「正統的周辺
業務」の観点からもっと言えば、今、主人公の行っている事=上司も過去に行っていた事、と言う構図が成り立つと思いま
す。・・・と話がずれましたが、「「あれはこういう意味だったのか」と腑に落ちる」、と言う一節も有るのですが、先述の
「感心」の「理由」です。また、先述の「同じ様な言葉に触れる」と言う事は歌の「詩」等もそうだとは思います。聞き手の
捉え方にも寄りますが、例えば自分の心境や考えにふわっと重なった時にぶわっと涙が出たり、常に本心か否かはこれもまた
置いといてですが「この方もこういう時にこう思う時が有るのだな」とか「こういう物の捉え方をする時が有るのだな」と感
じられたりする事は、自分の心の拠り所や生きる為の支えとなる気力に変わる物になり得ると思ったりします。勝手でしょう
が、身近な自分の味方ですね。読書と言う方法に限らず、時折でも「同じ様な言葉に触れる」と言う事は、自分の心を強くす
る上で大切でしょうね。でも、自分を客観的に見る意味で「違う様な言葉に触れる」事も同じく時には大切でしょうね。世相
が切迫している感じですが、入試日程も本格化しておりますから、手洗い・うがい・防寒対策等、出来る事をいつも通り行い
ながら、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。