こんにちは。Wam四箇郷校です。今週初頭から厚黒い雲が空に張ってめっきり寒くなり、それに比例しているかの様に、朝
6時頃は未だ真っ暗ですね。体調は崩されていないでしょうか?今で寒さも手伝い、体も気持ちも「重暗い」雰囲気で、先行
きが見通せにくく、なかなか「普通」や「自然」の事として取り込めにくい物も、それぞれ有るでしょうか?「究極まで衰退
し、また盛り返す。究極まで乱れて、また治まる。これは物の常である」今回は(笑)、吉田松陰氏の言葉からです。ペリー
率いる黒船の来航により、言われるがまま、為されるがままに鎖国を解いてしまった日本の国力の減退を案じた松陰氏から出
た物です。私自身、働く環境が変わって約8か月、気持ち的には、やっとようやく自分の中での「普通」に消化出来つつある
かな~と言った所です。つい先日生徒から、「西浜校の方に戻りたいと思わないですか?」との質問に対し、「確かに4年も
居たので思い出は有るけど、今は戻りたいと言う気持ちはかなり薄れてる」との言葉が(多分・・・(笑))自然に出たの
で、恐らくそれが今の私自身の本音なのだろうなと思案した次第です。薄れた気持ちは今の環境へ流れて、その分が今の環境
下での「普通」になったのかもしれません。自身の事ではありますが・・・。持論ですが、やっぱり「半年」は必要ですね。
自分の基準に合わなかったり、外側の物だったりした物を自分の中に取り込んだり、人との新しい関わり方であったり、働き
方を一新したり、新しい環境の中での自分の立ち位置を作り直したり等、自分の中の「普通」とするには改めて、「半年」は
必要だな・・・と思います。松陰氏の「衰退」や「乱れ」と言う表現を引き合いに出した事は、語弊が有りますが、例えば、
これ以上もこれ以下も無い様な状況になった時、「自分らしい」所を残しつつ、「自分のまま」ではいけない所をどう変えて
行くかは大事だと思うので、「気持ちの切り替え」としてこれまた語弊が出そうですが「「そこ」で頑張るしかない」と言う
気持ちが尚更大事なのでしょうね。「「そこ」でどう頑張るか?」と言う気持ちを原動力にして、行動して、「自分」を残し
つつ「自分」を変える為の「切り替え力」は大切なのでしょうね。その気持ちは、大げさな表現ですが、「「そこ」でどう生
きていくか」とか「自分を自分自身でどう生かしていくか」と言った思考なのかもしれません。耳の浮く言い回しで恐縮です
が・・・思い出は残っているが、場所が変わってしまった以上、気持ちはもう以前の「そこ」に注げないので今の「そこに」
注ぐしかないのですよね。現実的な話として。思い出が残っている分、頑張れる事も有ると思うのですね。皆さんの「そこ」
はどういった物でしょうか?覚えられている分、相手からしたら「気持ち悪っ!」かもしれないですが(笑)でも「変える」
と言うよりは、一つでも多くの事を自分にとっての「普通」にするタイミングと言うのは、正に一つの事を「普通」にしよう
と思い立った時が、ベストとは言えませんが、気持ちが中途半端な時と比較してベターなのだろうと思います。現実を目の前
にして、今の「現実」とどう付き合っていこうかと考えて行動に移した時、やはり初めはそれまで自分の「価値基準」も手
伝って、体も気持ちも、高い確率で新しい事への取り組みに対する怖さ等の「拒否反応」を起こすかもしれませんが、疲れや
消極性等を、全くは無理かもだとしても、それをあまり感じなくなった時、その時こそ、何かの新しい事を「普通」に出来た
時なのだろうと思います。個人的見解ですが、松陰氏の上記の言葉は、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」とほぼ同様の意味
だと考えています。人生は何が起こるか分からないですし、幸か不幸かはその場限りでは決めきれない物も有るでしょうか
ら、慌てて感情的にならずに、なる様になる為の自分に出来る行動を続ける事が大切なのだと思います。防寒防疫対策を出来
る限り行って、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。