こんにちは。谷町六丁目校 伊藤です。
さて、「甘味処」。それを知る前に、甘みの歴史を紐解きましょう。
菓子は、果物や木の実の総称です。古代の人たちは、天然の果実から甘味を摂取していました。それが、穀物を加工し餅・団子がつくられ、甘葛(あまづら)というツタの汁を煮詰めたシロップを使って甘味を加えるようになりました。
鎌倉~室町時代になると、禅宗(よく座禅とかありますね。)が伝わると、中国に留学した禅僧が、羊かんや饅頭といった点心をもたらし、喫茶の風習が広まりました。この時代に、東寺の門前や参拝客に「一服一銭」として茶湯一杯を安価で提供するところから茶屋(のちの甘味処)が出来てきたそうです。
砂糖は輸入されて間もない当時、極めて貴重な品でした。
戦国~安土桃山時代では、ポルトガルやスペインの貿易商人より南蛮菓子であるカステラや金平糖が伝わりました。
そして江戸時代にいり、砂糖の輸入量が増え京菓子と江戸の菓子との対立があり発展していきます。
さて、「甘味処」は、「あまみどころ」と呼ばれていました。近代になり、「甘味料」「かんみりょう」と呼ばれるところから混じって「かんみどころ」と呼ばれるようになったそうです。なので、どちらも実は間違いではありません。(辞典には、「かんみどころ」も最近では書かれるようになっています。)
また、「十三里」は、 昔、京都の焼き芋屋さんが、「八里半」と看板に出していたようです。
栗の味に似ていることから、「九里」にやや及ばない「八里半」と名付けたようです。
そこから、江戸では「栗(九里)より、(四里)うまい、十三里」
とのことで、「サツマイモ=十三里」になった説や、当時おいしいサツマイモの産地は、江戸から十三里(約52km)のところにある川越であったことから呼ばれているそうです。
いかがだったでしょうか。 「甘味処」と「十三里」の疑問が解けましたか?
この記事で言いたいことは、「甘味処」の読み方はどちらでも通用すること。そして、名前の付け方には、当時の意味が存在するということです。
人生に間違いはありません。その人がどのような経験を積んできたかによって、今後の人生が豊かになると思います。
また、名付けられた言葉の意味は、深い意味が込められていると思います。大切にしたいですね。
いろいろな疑問・質問がありましたら、いつでも来校ください。一緒に勉強していきましょう!