こんにちは、個別指導Wam西取石校です。
前回、語彙が豊かであることが国語学習の大前提であり、人間的魅力に通じるということをお話ししました。そして、語彙力が高いことがそのまま「国語力」が高いことにはつながらないとも言いました。
今回は語彙力が高いことが即、「国語力」が高いことではないということについてお話しします。
「国語力」があるとはどういうことか。それは、会話や文章の内容を正確に読み取り、何が言いたいのかを正確に理解する力のことです。文章に限って言えば、「読解力」といっていいかもしれません。
さて、ここで問題です。次の傍線部①②について、それぞれ、どのような「体験」であったといえますか、答えて下さい。
A.去年の夏、ある紹介でバイトをすることになって……[中略]……
①本当においしかった!あんな体験、二度とないだろうな。
B.去年の夏、ある紹介でビストロにいくことになって……[中略]……
②本当においしかった!あんな体験、二度とないだろうな。
①については「簡単な仕事であるのに、アルバイト料が非常に高額であった、数少ないアルバイト体験」、そして②については「料理が非常に美味であった、貴重な食事体験」といえるでしょう。「おいしい」という言葉が単に「食事が美味である」という意味以外に、「自分にとって有利に働く」という意味(お笑いの業界用語からきていると思います)があることを知っている必要がありますし、さらには、文と文とのつながり=「文脈」の中で、どの意味として使われているかを見抜く力が必要だということです。
語彙が豊かであれば、文章の内容を読み取り易くなるのは確かです。しかし、それだけでは不十分で、その言葉がどのような意味で使われているかを正確に見抜く力=「文脈理解力」が必要です。
では、「文脈理解力」はどうすれば身につけることができるのかですが、それは、演習を積み重ねて会得するしかありません。演習(経験)を積んで、文章読解の「神経回路」を完成させる以外に道はありません。すなわち、「国語力」=「語彙量(知識)」+「経験(神経回路)」です。
往々にして、国語は「神経回路」完成のための演習量が不足です。英語では「三単現」の知識を得た後、それについての問題演習をし、数学では「因数分解」の知識を得た後、それについての問題演習をするのに対し、国語では「文脈理解」として「指示語」や「接続詞」の知識を得ただけで、「読解力」が付いたと錯覚しています。
そのことについては、また、次回に。