こんにちは、個別指導Wam西取石校です。
先日、こんなことがありました。
小学4年生の算数の授業でのこと。「長方形の周の長さは何センチですか。」という問題で、
「周って何?縦のこと、横のこと?」という質問がありました。
計算については全く問題のない児童だったのですが、彼女は「周」という言葉を知らなかったのです。
彼女をばかにして、笑うことができるでしょうか。
例えば、中学生。「焦燥感・安堵感・躊躇」という言葉を知っていますか。
その言葉を知らないために、小説の読み取りが不正確になってしまうということがないでしょうか。
例えば、高校生。「パラダイムシフト・手段の目的化・エビデンス」という言葉が分からないために、
評論文の内容が読み取れないということがないでしょうか。
個人が知っている言葉の数のことを、「語彙(ボキャブラリー)」といい、その「語彙」量が豊富であるということが、
(当たり前のことですが)国語学習の大前提であるということです。
うれしいとき、悲しいとき、驚いたとき、なんでもかんでも「ヤバイ」という言葉で済ませてしまう人がいます。
「ヤバイ」という言葉をいろいろなニュアンス(この「ニュアンス」も重要語彙の一つです)で使い分けているともいえます。
しかし、感情を表す語彙が豊富で、その時々にもっともふさわしい言葉を選び取って表現する方が、相手に自分の気持ちが正確に伝わるのではないでしょうか。(もちろん、その場合、相手も語彙が豊富であることが前提となりますが……)
たとえていうなら、語彙が豊富である人が「心のひだ」が厚く複雑な人であり、感情表現が「めちゃおもろい」と「めちゃむかつく」ぐらいしかない人は「心のひだ」が単純で薄っぺらい人といえると思います。
どちらの人物に興味を持ち、どちらの人物を友達としたいかは明白でしょうし、語彙が豊富であることが、人間的な魅力に通じるということもご理解いただけると思います。
では、「どうすれば語彙が豊かになるのか」ですが、それにつきましては次回に繰り越したいと思います。