教室ブログ

2020.05.21

効率の限界

何かを学ぶにあたって、なるべく無駄を省いた勉強方法が希求される場合があります。また、参考書などを眺めていると、「世界一わかりやすい〇〇」「これ一冊で〇〇がわかる」「〇〇がたったの10時間で理解できる」などの名を冠した参考書もたくさんあります。こうした参考書や無駄を省いた勉強方法に共通しているのは「効率」だと思います。

学校の勉強においては効率が重要視される場面が多々あります。考えてみれば当たり前の話ですが、テストや入試は実施される日が予め決められており、その日までに各自が設定した目標点数を獲得できる状態になっていなければならないので、無駄なことを極力避けて勉強を進めていく必要があります。目的達成のために効率の良い方法を選ぶのは当然のことです。

しかし他方で、それだけではもったいないという気持ちもあります。学校で習慣的にテストを受け続けていると、「勉強とは効率良く知識(ここでいう知識とは「水は水素と酸素で構成されている」とか「1914年に第一次世界大戦が起きた」などのような「事実」と同じ意味だと思ってください)を身に付けていくことだ」と思い込むようになってしまいます。小・中学生や高校生のみならず、大学生や大人の中にも勉強をそのように捉えている人は大勢います。このことは、ある意味では仕方のないことです。

テストの否定的な側面として「勉強とは知識(=客観的事実)を効率的に身に付けることだ」と思い込ませてしまうという側面があります。しかし、保護者や教育に携わる者が生徒たちに身に付けてほしいと考えている知識とは、単なる客観的事実とは別のものである場合があります。また「勉強しなさい」という言葉を発することによって、「なるべく多くの客観的事実を身に付けなさい」ということを意味しているわけではない場合もあります。

こうした齟齬が生じるのは、「知識」という言葉を「客観的事実」と捉えたまま話が進められていることが原因かもしれません。また、勉強の動機づけとして「効率」を前面に打ち出して、その結果「生徒に何を伝えていることになるのか」を熟考することもせずに、生徒が勉強をすればそれで良しとしてしまうことが原因かもしれません。これを避けるには、「生徒たちに本当に身に付けてほしい『知識』は何か」と改めて考え直すことが肝要でしょう。この点に関しては、また機会があれば述べたいと思います。

もちろん、効率的に勉強することが悪いことだと言っているわけではありません。上述したように、目的達成のためにはむしろ奨励されるべきときもあります。しかし、日々「勉強」「知識」「効率」といった言葉に触れる度に何か腑に落ちないものがあったので、こうして書かせていただきました。効率を求めることにより却って本来の目的からは遠ざかってしまう。ここに効率の限界があると思います。

今回は以上です。

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