教室ブログ

2020.05.08

「奪い合うこと」と「分け合うこと」

こんにちは。Wam四箇郷校です。ゴールデンウィークが明けた昨夜は、5月の満月「フラワームーン」の日であった模様

 

ですが、皆さんは確認出来ましたでしょうか?私もピークを過ぎた10時頃、やや南の方角に快晴の空の下、確認出来まし

 

た。教室へ向かう道中にて通るお寺の掲示板に、相田みつをさんの言葉がありました。「うばい合えば足らぬ わけ合えばあ

 

まる(ママ)」です。お寺の掲示板に示されている言葉は、法事等で賜るご法話然り、その時の「世相」や「世の中の状態」

 

に繋がる事が個人的には多いと思います。同じ様な事をあちらこちらで目に耳にしているせいもあるかとは思われます

 

が・・・。上記の言葉はこれで終わりではなく、「うばい合えば」に対し「わけ合えば」の対句方式で、「あらそい、にくし

 

み、不満、戦争、地獄」「やすらぎ、よろこび、感謝、平和、極楽」と続きます。

 

お気づきの方もいらっしゃるかとは思いますが、「何を」うばうのか?わけ合うのか?と言う「主語」がないのですね。そこ

 

に関しては、個人個人で「考える」しかないのだと思います。でも、逆の見方をすれば、個人個人で考えられるから、様々な

 

事にあてはめられて、想像の範囲が広がるのではないか?と考えます。「何を」について「考える」だけでなく、何故、うば

 

い合えば、わけ合えば、以下それぞれの6つの様相になるのか?その背景も併せて「考える」必要もあると思います。恐らく

 

全て、感情が原因で起こり得る事ですが、「奪うこと」と「分け合うこと」、「耐える為」「我慢する為」に行える方は、果

 

たしてどちらか?その場しのぎの「感情」の向くままに行動していないか?自分を客観的に見つめ、ある程度後々を考える

 

「感情」を持った上での「理性」を持って行動しているのはどちらか?一つ立ち止まって、「考える」必要があるかもしれま

 

せんね。個人的な意見ですが、恐らく主観的な「感情」の向くままの「正しさ」と、客観的な「理性」を持った「正しさ」は

 

根本的に違うと考えています。また、「ブーム」と言うのは「そろそろそんなに気にならなくなってきたかな・・・」という

 

辺りが、「再燃させるか?(させてしまうか?)」「静まるか?」の大事な瀬戸際だと考えています。継続は力なりではない

 

ですが・・・。また、「物」だけでなく、「時間」や「ほどこし」「きれいな言葉」等、「分けて」頂けたら、個人的にはで

 

すが、例えその場だけでもやはり「ほっこり」するのですね。「ほっこり」した気持ちをどう相手に伝えていくか?も考える

 

必要があるでしょうね。手洗いもうがいも、十分な睡眠も、出来得るだけ継続して、体調に気を付けて下さい。

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