教室ブログ

2020.04.24

「美しい花」と「花の美しさ」

こんにちは。Wam四箇郷校です。4月も早や終盤で、間もなくゴールデンウィーク期間に入りますが、今年に関しては、ど

 

れだけ「考えて行える事」を作っておけるか?という事が、一つの課題になりそうですね。あっという間で、私も四箇郷校に

 

着任し、3週間程が経ちました。気持ち少し落ち着き、読書の時間が少し出来たので、手に取った中の1冊で、新しい本では

 

ないのですが、「小林秀雄」さんと言う方の文庫本を本棚から取り出し、再読した次第です。当麻(たえま)と言う作品の中

 

にある、ある一文の意味について、再考してみたい、と言う気持ちが芽生えたからです。小林秀雄さんは、もう30年以上前

 

に亡くなられておりますが、「評論」と言うジャンルを「文学」とほぼ同じ位置に迄高めた方と言われております。「当麻」

 

と言うのは、ここでは先日のブログで引用した世阿弥の作品の一つの事です。「美しい「花」がある。「花」の美しさという

 

様なものはない。」(ママ)意味を再考してみたかった一文です。様々な事を自分で納得する、もしくは相手に納得して頂く

 

には、やはり当然ですが、なぜか?どうしてか?と言う「理由」や「根拠」が必要だとは思います。先日申した、「理屈」が

 

無ければ「知識」や「知恵」が生み出される事はやはり難しいと思うので、本来は不可欠な筈です。「美しい」と感じる、と

 

いう気持ち、感情は「共通」しているのに「何をもって花が美しいか?」と言う「理屈」を持ちつつ、気持ち、感情を同じく

 

して「美しい」に至るまでの道のりは必ずしも同じではないのですよね。これが凄く不思議です。かねてから、ず~っと何回

 

も同じことしか言っていないのに、伝わる方には伝わるが、伝わらない方には伝わらない。これも、恐らく各々持ちうる「理

 

屈」が違うからか?とも思ったりします。「美しさとは何か?」と聞かれて「こう言うことだ」と「限定」してしまうと、一

 

種の「固定観念」が出来上がってしまって、正に「花がない」という事だ、と「限定」する事はやはり「花がない」のかな、

 

とも思います。それでも、出来上がってしまう所はあると思うのですが・・・(汗)。純粋に「花の美しさ」だけでなく、

 

思った事や感じた事を「理屈」無く、ただその時それだけの言葉(例えば「すごい!」「素晴らしい!」の一言のみで)で十

 

分な状況と言うのが、本来は、考え方の範囲を狭くしない状況なのではないか?と考えます。矛盾するようですが「理屈」が

 

邪魔をする場合もあると思うので・・・。もっと言えば、逆の立場で、大勢ではなく、たった一人のたった一言で「正にそう

 

だな!」というような形で「全員に伝わる」ことが実現すれば、究極だと思います。4/29(水)~5/6(水)までゴールデン

 

ウイークの休講期間を頂きます。「理屈」をつけてはいないですが、手洗いうがいを励行し、睡眠を十分にとって体調に気を

 

付けて下さい。そして、こちらも「理屈」をつけていないですが、出来れば室内で「考えて行える事」を一つでも多く作って

 

おきましょう。

 

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