こんにちは。Wam西浜校です。今日はお天気が、一息入れるような感じで下り坂気味ですね。お時間の方は持て余しされ
ていないでしょうか?さて、3月も間もなく終わろうとしており、春の陽気が増してにじみ出て来ておりますが、この度に関
しては、その風物詩を思う様に眺められないかもしれません。「自ら之(これ)を取るなり」こちらは、吉田松陰氏の言葉の
一つです。簡単に言えば「苦労や心配事と言うのは、自分自身で招いているものである」と言う意味合いです。「自分だけは
大丈夫」「そこまで心配する事では無い」という思惑は、聞く人によっては、「危機感が無い」とか「不謹慎」等と言う意見
も有るかとは思われます。ですが、世の中も心も閉じざるを得なかったり、芥川龍之介の「羅生門」ではないのですが、生き
て行く為に致し方ない状況下では、悪い意味かも知れませんが、「楽観的」、言い換えれば「前向き」な考え方は必要なのか
もしれないとは考えます。ただ、周りの方の、経験を踏まえた上での警告や、一応の知識を軽んじたり、マナーも踏まえな
い、傍若無人な立ち回りや振る舞いは別問題ですが・・・。もし自身が問題の真っ向「当事者」になってしまった時、それま
での思惑を「考え」として完全にひるがえすまでは、良いかもしれません。私自身、勝手に懸念している事では有るのです
が、「自身の行いの責任」を他の人達に乗せ付けようとするかのごとく、人格もひるがえってしまう事は果たして無いのだろ
うか?という事です。その様になってしまう方達が一人でも多く出ない様に、とは思います。そうなった時に、冷静で居られ
るかどうか?居られる自信が恐らくないのであれば、そうならない為に事前に出来る事はないか?それらの気持ちは、「あら
ゆる行動の返って来る結果に対する原因は、「まず」自分に無いかどうか」を考えてみる事の中に存在すると思います。「声
に出して言いたい事」は有るが、「諦める」という意味では無く、「反省」「改善」すると言う意味で「仕方ない」とどれだ
け割り切れるかという事は、大事だと思います。何度も飛び交っている抽象的な言葉の意味を、自身の中でどの様な意味とす
るのかは、行動するにあたって、一人一人にとっての重要な問題だと思います。「体」が何物にも代えがたい「苦労や心配
事」だけでなく、「幸せや良い事」も「招く」為の重要な「資本」ですから、うがい・手洗い・十分な睡眠をとる等をし、体
調を守る為の出来得る限りの行動を取って参りましょう!