こんにちは。Wam西浜校です。今年もあと5日。毎度勝手ながらのこのブログも今年は最後になります。テレビや身の回り
の物なども、日毎に年末年始の様相ですね。さて、私事ですが、先週の日曜日に法事があり、事の終わりにお坊様からのご法
話を賜りました。―朝7時に月命日のお勤めに上がったお宅で、奥様が出迎えて下さいました。その日はいつもとは違い、車
を訪問先の前まで乗っていかず、離れに駐車してお参りをしたそうです。その家のご主人は「(お坊様が)お越しになった
ら」呼びに来て」と奥様にお断りしていたそうです。それに違わず従い、奥様はご主人を呼びに行ったのですが、(探した限
りでは)やはり姿が見えないので、先にお勤めをお願いしたとの事です。後になって家に戻って来たご主人が「何で呼びに来
てくれなかったんだ!」と奥様を叱咤したそうです。-このお話の後で、お坊様がおっしゃった一言は「これについては一体
だれが悪いのだろうか?」という事でした。しかし、転じて「それぞれが、どう言う風にもっと気遣えば良かったのか?」と
も言えるとの事でした。いつも通り、お坊様が車をお家の前まで乗っていけばよかったのか?ご主人が7時と言う時間をきち
んと意識するべきだったのか、奥様がもっと広い範囲をくまなく探せばよかったのか?と言うお話になりました。「誰が悪
い!」と言う発想ではなく、各々の立場に立って反省してみると、色々な改善点や「背景」が見えて来るな・・・と感じたご
法話でした。私自身も中島みゆきさんの「言葉と孤独」と言うエッセイの一部分「一つの言葉を聞くに至るまでの有る他者の
人生を、言葉を発する人間がすべからく把握している事等有り得ない。逆の立場においても同様だ」と言う一節をはっと思い
出しました(正確にでは無いですが・・・(汗))。相手の事を100%把握できている事なんて、本当に至難の業ですし、そ
れが出来たら・・・信用されるどころか、逆に気持ち悪がられるかも知れませんし・・・ね。色々な意味でそうするべきなの
か、そうせざるべきなのかと言う意味でも、相手を「理解する」と一口に言っても、本当に難しいんですよね。それでも、お
互い感情的にならない様に、物事を速やかに進める為に、相手の立場に立ってみて、「背景」を探ってみる(意見や本心を聞
いてみる)という事は、やはり大事な事だと思います。改めて私自身も、努めないといけないと思ったご法話でした。今年も
一年本当に有難うございました。皆様、どうかよいお年をお迎え下さい。