こんにちは。Wam西浜校です。12月に入り、朝晩本当に寒いですね。着替えすら億劫になるこの頃です。昨夜の満月は、令
和時代最初の「コールドムーン(12月の満月の表現)」で、雲少ない夜空の中、やはり煌々としていて綺麗でした。身に沁
みる寒さが、より存在感を際立たせている感じがしました。さて、定期テストが終わり、「ホッ」と一息つきたい所ではあり
ますが、結果に対する「反省点の克服」や「次回への設定目標」等、以降への課題が新しく出て来ている方も多いかと思いま
す。ご無沙汰の「論語」ですが・・・。
憤(ふん)せずんば啓(けい)せず。非(ひ)せずんば發(はっ)せず。一隅(いちぐう)を挙(あ)げて三隅(さんぐう)
を以(もっ)て反(かえ)らざれば、則(すなわ)ち復(また)せざるなり。
大意:「学びたい」という思いが強まらないうちは教えることはしない。言おうとしてもうまく言葉に出来ず口をゆがめるよ
うでなければ、対話によって導こうとはしない。一隅(1つのこと)を示して、他の三隅(全体像)を自分で研究するようでなけ
れば再び教えることはない。大意を見た感じ、「なんて上から目線で、偉そうな物言いで、何様のつもりやねん!」と憤る方
も居るかもしれません。私自身もそう感じた部分は確かにあったのですが、それでもやはり、教わる側の気持ち・姿勢と、教
えようとする側の心意気等の有るべき関係の一つをしっかりと表している様にも取れます。人の見ていない所で、どれだけ頑
張れるかが大事とも捉えられます。因みに先述の「憤」と言う字、「憤(いきどお)る」の「憤」なのですが、「気持ちが
すっきりしないで苦しむ」と言う意味も有ります。「ここまで出てるのに~」という様な事、今まで有りませんでしたでしょ
うか?どうすれば良いか、足掻き苦しんでいる最中でしょうか?それをまず、人に聞くのか?先ずは自分で調べるのか?もし
くは、もう何もしないのか?それはその方の自由であるから、一度一つ教えたら、それ以降の事は個人の自由だとは思いま
す。「答え」を先に伝えたとして、教える側も教わる側もそこで終わってしまうと、実は「何かを教えた」とか「何かを学ん
だ」とか言う「記憶」に残らないでしょうし、本来、大切なのは答えの意味をどの様にとらえて理解出来たか?だと思いま
す。数学の図形の証明、「答え」を先に聞かずに、自分の力でやり切れたら、私の中では達成感、結構あると思います。た
だ、証明単元に入る前に、「合同条件」なる物を何故理解する必要があるのか?一つの定義としては「どの条件で証明するか
の全体像がつかめないから」です。「合同条件」や「図形・角度の性質」「仮定」はいわゆる一隅で、それらを駆使して残り
「三隅」を発見し、証明したい所まで辿りつくわけですから。でも中々上手くいかない時も有ると思います。それでも、必死
にどう解くべきか?テキストや既に行った問題を振り返りながら取り組んでいる生徒達を見ていると、「こちらもしっかり勉
強しなければ・・・(汗)」とは思います。2月にはまた、定期テストがあるので、そちらに向けて、また大変かとはお思い
ますが、手洗いうがい等遵守して、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。