ポカポカ陽気の3月。
どっかでかけたいなぁ。
たまーに梅の花なんかが咲き始めてて
桜が咲くまでもう少しといったところ
清水が丘、飯塚でございます。
ホントは昨日書けばよかったのだろうけど
いつか書きたいと思っていたので
私は前職で「震災復興のために東北の材料を買いたい」と思っていました。
出向いたのは福島県南相馬市小高。
私が行っていたころは震災の爪あとというよりも
何もないただ広い平地が限りなくつづいていました。
たくさんの集落があったとは思えないただの平地。
そこに家があったとわかるのは置かれた小さな祠だけでした。
ここにいた人の半分は遺体すら見つかっていないと聞いたとき
どうにもできない無念さを抑え切れませんでした。
海は見えません。
早急に作られたコンクリートの防波堤が高くそびえ立っていました。
この世のものとは思えないあの風景を私はきっと忘れないでしょう。
田んぼはお米を作ることができません。
たとえ作って放射能が基準を超えてなかったにしても
風評被害で売れません。
そのころは減反措置といってお米を作る量を制限されていました。
そこで菜種油で復興を目指している人たちに出会いました。
そこでお米が売れなくなった田んぼに
たくさんの菜の花が植えられました。
菜の花を搾油し「菜種油」を作ると
たとえ汚染された土地でも放射能物質は水溶性で油には溶け込みません。
4月あたりになると町全体が菜の花畑になります。
菜の花の鮮やかな一面の黄色風に揺れて黄色の旗がたなびく様子。
この光景も僕はきっと忘れない。
ちょっと違うんですけど
ジブリの「もののけ姫」のラストシーンを思い出したんですよねー。
今でも菜の花を見るとあの光景を思い出します。
8年たっても何年たっても
忘れないことと助け合うこと。
あの年に生まれた小学2年生を教えながら思っています。