こんにちは。Wam西浜校です。まだまだ寒い日が続いておりますが、お元気に過ごされていますでしょうか?昨日、森鴎
外の「高瀬舟」についてのお話を致しました。もう少し掘り下げると、罪人として、島流しにされる喜助の表情を見て、同
心・庄兵衛は不思議な心境になります。島流しにされる事を苦にせず、むしろそれを罪人としての扱いを甘んじて受け入れ、
満ち足りている様な面持ちをみて、庄兵衛はその心持ちを問います。両親に先立たれ、周囲の人々の援助を受けながら、弟と
2人3脚で生きて来た喜助は、病で働けなくなった弟の世話をしながら、働き続けていました。兄に常に申し訳ないと思う弟
を、いくら本人の願い出と言えど、半ば「理不尽」な形で命を奪う事になった矢先でした。この作品の評価や評論を見ている
と、「足るを知る」と言う言葉が出て来ます。働く場所が有る、お金を貰える、寝床が有る、この身が、かつ命が有る。それ
らについて感謝出来る。喜助は、例え罪を犯せど、以前の過去の生活と重ね合わせ、今がどんなに恵まれている事か?と
これからの生活の「楽しみ」や「展望」を庄兵衛に切々と語ります。私からすればですが、一つ上の満足を知る機会になった
のかも知れません。今までの辛さと比べると、最悪死罪になるであろう所を、なんと自分は恵まれているのか?と。反面、家
庭を持つ庄兵衛は先立つ物の確保や調達、周りの人間が思い通りに動いてくれない、妻を含め、各々のプライドが邪魔して
家庭内の風通しが良くない等、悩みが尽きません。「人間らしい」と言えば、そうなのだろうかな、と思います。底の底を知
ると、死ぬくらいの辛い思いをすると、それが普通になり、欲望のハードルが自然に下がり、周りの繋がりが見えてきて、不
平不満を言う事も少なくなるのかもしれません。それは、貪欲さや生きる気力が無いという意味ではなく、相手の立場になっ
て待ったり、耐えたり、案を出したり出来て、その人なりに物や人の有難みを噛み締められているという事ではないかと思い
ます。受験生の皆さん、苦しいのは自分一人だけでは無いですよ?一人一人の苦しみが有って、それを表に出していないだけ
だと思います。泣き言を言っても、まず解決しない事を分かっている人達がそれなりに居るから、周りが強く見えるだけなの
ではないか?もしくはそう見える様に自分に言い聞かせなければならないんだ、と言う人が多いのかも知れませんよ?「足ら
ない」のであればどうするか?まだ時間は有ると思います。まだまだ寒いですから、うがい手洗いを励行し、体調に気を付け
て下さい。