こんにちは!Wam脇浜校の松田です!
テストが立て続けにある時期ではありますね。また、寒暖差も大きくなってきていますので体調には注意していきたいところです。
人それぞれ、なりたい自分、というものがあると思います。まだそういうのは無いよ?という人は、まずはそういう人を見つけてみることも良いと思いますし、自分がどういう人が好きか(容姿ではなく性質であったり考えであったり)というのを考えてみるのも良いと思います。
私にもなりたい自分、というものがあります。ただ思うだけではなれませんよね。なる為にはどうすれば良いか考えてみたり調べてみたりと、どれだけそうなりたいか、によってそうなる為の集中力は増してくると思います。そうなる為にはそれに付随する必要な要素というものもありますが、今回はそれは横に置きます。
なる為に、どうすればなれるのか、少なくとも近づけるのか、
その始まりとしては、どうしていくか、だと考えています。正解や答えといったものがあったとしても、それをただ聞いて行うのと、間違っていようと自分で見つけ出して信じて行っていくのとでは、また捉え方が変わってくるものでもあります。
私は前者は、確かに正しく、そうすることが良いのだと思っています。しかし、後者には、前者には無いそれを上回る可能性を感じています。
例えば、目標であったり尊敬する人がいたとします。その人のおっしゃることをその通り行えば、その人に近づくことはできると思います。しかし、その目標・尊敬する人自身が自分で見つけ出していった、という課程をおさえていないことに気付いていきます。
目標や尊敬する人を超えるには、それ以上の未知数に挑んでいかないといけないのだと感じたりもします。また、なりたい自分が選ぶ選択肢をその都度選んでいくことであるとも思います。
だいぶと前ではありますが、<ハンサムスーツ>という映画がありました。なにか共感するところが多いものではありますが、なりたい自分(ハンサムスーツ)になっても、心は変わっていない、というものです。かなり割愛しています。
なる為の努力を行っている人、というのは、なれていない人の気持ちも大きくわかっていたりもします。わかっているからこそ、行って欲しいことがあったりもします。
そんな風にビジョンをもってみる、そのなりたい自分がとる行動をあえて選び続けてみる、というのも一つにあるのでしょう。