こんにちは。Wam西浜校です。ここ最近空模様が目まぐるしく変わっています。特に台風も含め、風物詩と言うよりは、秋
と隣り合わせの宿命なのかもしれません。さて、タイトルですが、遺は「言い残す事」、命は「命令」、言わば遺言を意味し
ます。自らの死期を悟った豊臣秀吉は、息子の秀頼がまだ幼年だった為、徳川家康や石田三成を初めとする部下達に、「(家
康・三成を含む)」政治運営の取り決めを「遺命」しました。しかし、関ヶ原の戦いが終わり、十数年後、家康は秀吉の言葉
に背き、大阪冬の陣・夏の陣で秀頼たち豊臣一族を滅亡させてしまいます。死後の世界があるか否かは死んでみないと分かり
ませんが、秀吉がこの惨状を見ていたとすれば、どのような思いだったか・・・?側近の家康、遺命を残した相手に謀反を起
こされたのですから。相手を信頼し、任せ自らの意志を継いで貰いたい人を遺したいと思う事は、死後の世界が有ると信じて
いるからなのか?もしくは純粋に自らが築き、もしくは護り続けてきた物を壊されたくない、と言ったような誇りや誉が有る
からなのか?と思ったりします。何故こうなってしまったのか?それについて秀吉は批判されています。「遺命」を遺した時
点で失格であると。自分の命が長くないから、急いで実質遺言だけを遺して、あとは遺った人間で解決する時点で間違いであ
り、自らの手で問題を解決する為の手段を講じておかなかったのが、滅亡に繋がったと。一流は人を遺すと言いますが・・・
難しいですね。秀吉を擁護や返って批判する訳ではありませんが、100%自分の代わりになってもらう事は私は不可能だと思
うので、5つ位伝えたいことがあれば、せめて2つ位は何年か先に記憶の片隅にでも残っていてくれればいいなと思ったりし
ます。当然、伝えてくれた人間の存在が生きていることが絶対条件だと思いますが・・・。だからと言ってそれでいいという
わけではないですよ?「平生の言行各々 其の遺命なり」吉田松陰の言葉で、「普段の言葉と行いが遺命となっている」と言
う意味です。普段の考えや信念が、言葉や言葉遣いに出て、良い言霊にも悪い言霊にも変化して伝わるのだと思います。私も
正直、思い通りになったという事がどちらかと言えば少ないので、日々学習ですね。当然!皆さんもですが!一つでも解決で
きることを増やさないと・・・。テストも近いですし、肌寒くなって来ていますので、やはり無病息災が一番だと思いますか
ら、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。