こんばんは。Wam六十谷校の川口です。
古文を何故勉強するのか。国際化が進む今なら英語は必要というのは分かるが、何故古文を学ぶ必要があるかは甚だ疑問だと思います。しかし、言語の変化を知ることで言語学への興味を増すこと、言語の歴史を知ることで当時の時代背景を理解して日本の歴史を知ることは豊かな精神を作ることができて良いのではないでしょうか。昔も今も変わらない言葉で書き、話していれば良いのですが、言葉はよく変わります。流行語があるように流行り廃れがあり、もっと明確に使用頻度によって数の力でどんどん変化し続けます。それはより使いやすい伝わりやすい言葉への変化であり、環境と時代を映す鏡だと言えます。
日本語だけでなくあらゆる言語は変化します。英語でも昔は一般的な挨拶としてのhelloは存在せず、good afternoonなどを使っていました。変化するまでの期間は約150年ほどで英語は特にはやいように思います。彼らにとってのシェイクスピアは、日本でいうと元禄文化の芭蕉や西鶴にあたります。言語の変化速度は環境によって異なり、英語圏の人がマクベスを読むには、少し勉強をする必要があるそうですが、現代のスペイン語圏の人がドン・キホーテを読むのはそれほど難しくないそうです。スペイン語は百年さかのぼったらラテン語に近くなってしまうため、歴史が浅いという理由もあるようです。
また語の中には意味拡大(一般化)と意味縮小(特殊化)するものもあります。意味拡大は語の指し示す意味の範囲が広くなることです。例えば”瀬戸物”は本来愛知県瀬戸市周辺で作られた陶磁器のみを指す語でしたが、現在では作られた地域に関わらず陶磁器一般を表します。つまり、”瀬戸物”瀬戸市周辺で作られた陶磁器→一般的な陶磁器というように意味が拡大したわけです。英語のdeerは現代では「鹿」という意味ですが、元々は「動物」という一般的な意味でした。またhoundは「猟犬」という特殊な意味で使いますが、これも本来は一般的な「犬」という意味に過ぎませんでした。Deerと同語源のドイツ語Tierは現代でも「動物」という意味ですし、同じくhoundと同語源のドイツ語Hundは「犬」という意味です。
また、英単語で拡大語句と縮小語句を比較すると,縮小の例のほうが多いです。その理由は定かではありませんが,時代とともにあらゆるものが分化していく速度のほうが,それら断片を総合しようとする人間の営為より勝っているからかもしれません。意味場を取り上げで関係を図示することで概念階層の観点から語句を見ることができます。下位語を作り出し、枝を下へ下へ伸ばしていくことは半ば自動的に進みますが、新たな上位語を作り出す統合の作業には労力が要るようです。
話が逸れましたが、古文を学ぶ必要が問われる理由に授業で扱う題材がおもしろくないということがあると思います。授業で扱う題材には問題系と呼ばれる刺激が強いものはカットされているため、無害なもののみ載せられています。加えて、文法と逐語訳で進める授業は退屈でしかないはずです。活用する動詞を唱えたり、助動詞の活用を丸暗記したりするのが、面白い人はかなりの少数派でしょう。また、教科書では室町、江戸時代の作品はほとんど扱われません。平安から鎌倉時代の作品に内容が偏ることで古文と現代の連続性が感じられないことは古文離れを加速させるように思います。現代語に至る途中形態である作品を飛ばすことで、古文への隔絶は深くなるはずです。しかし、文法的に見ると、変化が大きい室町以降の文章を見ると、係り結びのルールがなくなったり、動詞の活用形が本来のものから変化したりと、平安ルールを逸脱するため、古典文法が特定の時代にしか当てはまらないことがばれるので、一貫性を保てなくなるために時代を絞っているのかもしれません。係り結びの消失は格助詞の増加によるものですが、日本語の変遷を探るこのような事実を知るのはとても楽しいことだと思います。この隔たりを埋めるために室町、江戸の作品を読むことには意義があります。少し破綻した文法の作品にも出会いますが、あえて読むことも余暇としては素敵だと思います。