また新しい年がやってきました。皆さんにとって去年はどんな一年だったでしょう。今年はどんな一年になるでしょう。
ノートの一ページ目を開いてみれば、大抵は綺麗に書き込まれているものです。買ってもらったばかりの靴は、踵をつぶさないように気を使って履くでしょう。それがいつの間にか。書かれた字は乱雑で、脱ぎっぱなしの靴はかかとがつぶれていて、君はもう、早く新しいのがほしいと親にせびってる。
責めているわけではありません。そういう経験ありますよねって話です。僕も同じことをやりましたし。初めての愛車はボロッちい軽だったけど、それでも心躍るほど嬉しかった。暫くすると、そんな車に乗っているのが恥ずかしく感じて、すぐに新しい車に買い換えて。今思うと勿体ないことこの上ない。
物はただ、いいじゃないですか。形あるものですから、壊れもすれば劣化もする。いつかは必ず寿命がくるし、きたら新しく買い換えればいい。
でも、皆さんがこうして迎えたばかりの新年は、形あるものではありません。気に入らないからってやり直すことはできないし、お金を積んだって取り替えてはくれない。新しい車は頑張ればすぐに買えますけど、新年は急には来ない。桜が咲いてセミが鳴き、山が朱染まってまた雪で覆われるその時までは、どう逆立ちしたってやってはこない。それにようやく来た新年だって、やっぱり新しい一年なのです。去った一年の代わりじゃないし、去った一年の代わりはできない。
新年を祝うこの時期は、「ノートの一枚目」のようなものです。新しい年に心躍らせるそんな時期。こんな一年にしようと決意を固めるそんな時期。でも、ノートが五枚目に差し掛かったそんなとき。君たちの決意が試されるのはその時期なのです。これを平易な言い方では「継続は力なり」と言います。
一年という時間は形あるものではありません。ところが年の瀬になると、「去年はこんな年だったなぁ」と形容できるようになります。不思議ですよね。これと同じで、二〇一八年というノートは、書き終えて初めて完成します。気に入らなくなったからって買い換えることはできません。終わるまで書き続けるしかないのです。
ノートの一枚目を書き出すときの、買ったばかりの靴で駆け出すときの、バッチリ決まった新しい髪形で前髪をかきあげるときの、あの清々しく、初々しく、どこか生まれ変わったような、あの心持を大切にして。書き終えたときに、いつまでも大切にしまっておけるノートにできるように。
皆さん、新年明けましておめでとうございます。
さぁ、今年もノートを広げていきましょう。