河西貴志高等部からです。酷暑が続きます。
地獄の釜蓋が開いたような暑さとはこのようなことをいうのでしょう。
さて、時々教育や学校にまつわる文献を読んだりするのですが、皆さんは学校や塾を好きあるいは好きだったでしょうか。僕はどちらかといえば好きでした。
特に塾は学校にはない先生との濃密な時間があって今でも印象に残っています。
近代日本で子供が学校に行くようになった動機のひとつは、家の仕事を手伝わなくてもよくなるというのが大きかったらしいですね。家で農作業をやらされるよりは学校にいった方が楽だし、友達にも会えるというのが、子供の側のインセンティブだったわけです。
しかし、少なくとも高度成長期以降、子供が働かなくてもいいようになった社会が出現したら、子供にとって学校が牢獄になってしまった側面はあるらしいですね。
話は変わりますが、ここ10数年くらいの日本は、苦労して受験勉強して偏差値の高い学校に行っても、大企業に入れて終身雇用してくれるという保証はありません。
かといってアメリカみたいに、学位や資格をとれば専門職で高給がとれるシステムにもなっていません。
それなら、高い学費を払って大都市の大学にいったり、我慢して勉強するということに、いったいどういう意味があるのかということになってきますね。
敏感な親や子供は気づきはじめているし、僕たち塾産業に携わる人間も子供の意識変化に少し危機感を持って取り組まないといけないようになってきています。
以前のような単純な論理はまったく通用しません。
また機会をみてこのことは考えてみたいと思います。