こんにちは。Wam六十谷校の松田です。
夏講習への多くのご参加、誠にありがとうございます。まだまだ一ヶ月ございます。精進して参ります。赴いてくださった方々、これからいっしょに取り組ませていただく方々、謹んで感謝いたしているところです。
想い、というものの良さを改めて感じさせられます。
想いにもいろいろあるとおもいます。
純粋に、混じりっけなくその想いに邁進することには、その想い自体にすら、試させる要素があるように感じます。
そこに不純物が混じっていれば、その想いを目指して最後まですすむことはできないものです。
今回は、考えること、について
考えること、というのは、悩むこと、とは似て非なるものです。
考えていくこと、様々ある中で、これをしていくためにどうしても必要なものもあるはずです。その必要なもののためではなく、それをすすめるために必要なものを得ていくこと。そのために、考えることがあると思います。
必要なものを得ることが目的の場合、もともとの、なぜそれを必要としたか、という源に反する行為のように思います。
最近よく感じることは、それを得ることが許されること、というものには、それに適した免許のようなものではないか、と考えています。
例えば、運転免許。免許というのは、もともとは誰にでも備わっているけれども、全員に制限を加えられたもので、そのものへの解除のことですが、そのように免許として認められてるためには、技量もさることながら、悪いケース等そういった注意や意識の上でできることのように思います。
そういった考えられることにしっかりと集中して取り組んでいきたいと思います。