「食客」(しょっかく)って皆さん、ご存知でしょうか。中国の戦国時代に広まった風習で、簡単にいうと居候のようなものです。才のあるものを客として受け入れ、代わりに食客はその主人を守る。なんて感じです。中には3000人もの食客を抱えた人物もいたそうで。
そんな人物のうちの一人である孟嘗君(もうしょうくん)こと田文(でんぶん)は、どのようなものであっても一芸あれば誰でも拒まず食客として招き入れたといいます。田文は元々、生まれの関係で有力な豪族だった父・田嬰(でんえい)からは冷遇された(というか殺されかけていた)人物でした。田嬰にはたくさんの子供がいたし、田文の母の身分は低かった。しかも当時、田文の誕生日である5月5日に生まれた子は、「門戸の高さにまで成長すると親を殺す」という迷信がありました。母の保護で生き延びていた田文を父・田嬰はその言い伝えを理由に殺そうとしますが、田文は「門戸の高さを高くすればいい」と返したことで難を逃れ(この程度で逃れられちゃうところがなんか素敵ですよね)、田嬰の屋敷で暮らすことを許可されるようになります。それでも当初は冷遇されていた田文が最終的には田嬰の後を継ぐことになったのは、田文が食客を招き入れるきっかけを田嬰に与え、彼らの世話をし、食客の中で田文の評判が高まり、それが知れ渡るようになった為でした。
そうして低い地位から戦国四君の一人に数えられるまでに成り上がった田文とその理由の一つであった食客との間には、「鶏鳴狗盗」(けいめいくとう)という有名な逸話があります。前述のように、田文はどのようなものであっても一芸があれば誰でも拒まずに食客として受け入れていました。あるとき田文は、秦の昭襄王(しょうじょうおう)から宰相の役割を与えられることとなり、祖国の斉(せい)から秦(しん)へと入ります。しかし、田文は秦の脅威になると誑かされた昭襄王は、逆に田文を殺そうとします。田文は二度も命を落としかねない窮地に立たされますが、一度は「盗みが上手い」食客によって、もう一度は「鶏の鳴きまねが上手な」食客によって難を逃れることとなるのです。学者などの優秀な食客は、普段からこうした「何の役に立つかわからない芸」を持っている食客に不満を持っていましたが、このときばかりは田文の先見の明に感服したといいます。このことから、「鶏鳴狗盗」とは「とりえのなさそうに見える人物でも、何か1つぐらいは秀でた特技を持っているものである」という意味の故事となりました。
田文はその後の人生でも苦境に立たされたことがありますが、「特技は特にない」と明言し、いざ食客となっても文句ばかりを言い立てる問題児だった馮驩(ふうかん)によって救われます。ちなみにその時の逸話は「狡兎三窟」(こうとさんくつ)という故事になっています。中国の故事にはこのように、食客が関係する話が非常に多く見受けられます。「完璧」の故事で知られる藺相如(りんしょうじょ)もその一人ですね。田文に関していうと、彼の「どのようなものであっても食客として受け入れる」という懐の深さといい、「盗みの才能」や「鳴きまねの才能」など、一見役に立たなさそうな芸がいつか役に立つかもしれないという先見の明には、感服せざるを得ません。加えて、自分の芸に自信を持って、あるいは「自分には芸がない」と開き直って田文の門戸を叩いた食客たちにも、何か学べることがあるのではないかなと思います。
誰しもが才能を持っていて、何かしらの特技があるはずで。
それを活かせるかもしれないという機会があって、そこに扉があるのなら。
ならノックしてみればいい。それだけの話で。
それすらしない人には、いつまでもその才能を活かす機会は訪れないかもしれません。
「いやでも私には芸も才能も何もないんですよ本当に」って君は言うかもしれない。でもそれは扉を叩かない理由にはならない。だって同じことを言って門戸を叩いた男の話を、先ほど僕がしたはずですから。
その男、馮驩は貧しい生まれで、食客になったのも衣食住の為だと公言していました。田文が斉の宰相を湣王(びんおう)の妬みによって罷免されたとき、3000人もいた食客はみな彼の元を去りましたが、唯一残ったのがこの馮驩でした。そして前述のように田文を救うことになるのです。傍若無人な馮驩を食客として受け入れた田文への賞賛はもう十分なこととして、では馮驩は初めから「自分は田文を救えるだけの才がある」と思って食客になったのかという話です。
たぶんそんなことは無いはずで。あったとしてもこう、根拠のない自信的な。具体的にどうではなく、「まぁまぁそのうちわかりますよ」的なものだったんじゃないかなと。僕は彼に直接聞いたわけじゃないので、断言は出来ないのですが。でもたぶん。何が言いたいかというと、馮驩にしても、その前の「盗みが上手い食客」と「鳴きまねが上手い食客」にしても、おそらくこの人たちは自分たちのその才能に絶対の自信があって、「必ずや田文様をお助けできるはずだ」と思って彼の元へ足を運んだのかというと、そんなことなかったんじゃないかってことなんです。きっと彼の食客のほとんどは、「なんやその田文ってお方やけど、ええ人やって話やし、誰でも断らずに受け入れるゆうて聞くし、それで住む場所くれて飯食わせてもらえるっちゅうねんからこら逃す手ないで」ってな感じで彼のもとを訪れたんじゃないでしょうか。
そして自分たちのその一芸が彼を救うことになるなんて、夢にも思ってもいなかった。思っていたとしても、根拠なんてなかった。本人たちにだって、自分たちの才能が物凄いことを成すなんて、それがいつだなんて、どんな機会にかなんて、甚だ予想も出来なかった。あったとしたら、それは門戸を叩くことが出来た勇気や行動力と、どんなものであれ秀でていると自信の持てる一芸と、あつかましさぐらいで。
皆さんが習えるのはそこなんじゃないかなと。子供たちには無限の可能性がある。僕は自分の洋楽好きやアメフト好きが通じて英語を喋られるようになって、何なら教えられるようになるなんて、中学生の時には思いもしなかった。趣味であっても何であっても、それがいつか君を凄いやつにするかもしれない。凄いことを成すかもしれない。生徒諸君はぜひそれを心に留めて、自分の好きなことに、情熱を注げることに、誇りを持っていることに、自信を持ってほしいなと思います。そして田文よろしくそれを受け入れてあげるのが僕たち大人の役割であり、それが懐の広さというか、器の大きさってやつなのかなと。
僕らは塾ですから、勉強のことをサポートしていくわけですし、もちろん塾生の皆さんそのご家庭の皆さんにはその辺りは普段の面談なんかでも十分ご承知いただいてると思うんですが。ただ、中学までの勉強は特に、とどのつまりは姿勢であり、努力であり、精神面がものをいいます。やればできるんだという経験を持つこと。自信を持つこと。勉強が苦手だ嫌いだという子は、まずはそこからです。一芸に秀でろ、とはうちの講師である南野くんも言ってくれていたことですが(http://blog.k-wam.jp/2014/12/26/153146.php)、いきなり全てを好転させるのは難しい。一歩ずつのステップが大切なのです。
まずはその「一芸」を勉強において持たせてあげること。そこで得た自信を他に波及させていくこと。
時間のかかるステップを地道に踏んでいくこと。
それを焦らずに見守ってあげること。
もし田文がその場で「役に立つかたたないか」や「意味があるのかないのか」を判断して食客を選んでいたら、彼は幾多の危機を乗り越える事はできなかったでしょう。おんなじことです。勉強が役に立つのかどうかとか、今のこの努力が有益なのか無駄なのかとか、そんなことばかりを考えて目先の費用対効果で物事や行動を選んだりしては、むしろ長期的には逆効果である可能性だってある。理由は後で勝手についてきますから。役に立つかどうかはそのうち身をもって分かりますから。まずは「やるっきゃない」ことなんだから、やっていくしかない。皆さんの「好きなこと」や「得意なこと」、「役に立つのか見当もつかないようなこと」がいつか大きなことを成すそのときまで。
「勉強なんて将来使わないし役になんて立たないじゃん」なんて思っているそこのあなたに。そんなつまらないようなことでも、何かの役には立つもんなんだよということで「鶏鳴狗盗」の言葉をお送りしました。鶏の鳴きマネで人の命を救えるんだから、勉強ならもっと大きなことができるって思いません?
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