勉強でも野球でもピアノでも何でもいいんですけど、何かにおいて秀でようと思ったら、それなりの結果を出そうと思ったら、あるいは周りについていけるようになろうと思ったら、その辺はそれぞれの状況やらなんやらで変わってくるとは思いますが、とりあえずそういう思いを現実にしようと思ったら、やはりそれなりの努力が必要になります。当たり前ですけど。
そんなとき、指導者側の口から非常によく発せられるのが、いわゆる根性論です。先に言っておきますが、根性は大事です。で、根性があるやつは大抵勉強できます。できなくても後々何とかなります。根性ありますから。僕たちクールな大人が(指導者が)常に大前提としておかないといけないのは、大半の(特に勉強が苦手な)生徒たちには、根性がないということです。少なくともその時点では。
根性がある生徒とない生徒なんて、見てちょっと喋ればわかります。ない生徒の口から出てくる言葉は大抵、文句とか皮肉とか哲学(なんで勉強するん的な)とか、その手のものです。根性論は、そんな生徒たちにはあんまり通用しません。あんまりというのは、時にはそれが生徒の琴線に触れることもあるということは否定し難い事実だからです(十人十色ですからね)。でも大体は通用しません。ちなみに中学生の頃の僕にも通用しませんでした。
理由は二つあります。パッと思いつく限り。
一つは、それが「ないものねだり」だからです。ない根性を出せといっても仕方ない。ただ、本当にからっきし絶望的なまでにないという事はあんまりないはずなので、いかにして引っ込みがちで恥ずかしがり屋の根性さんを表舞台まで誘導してあげるか、そこを僕たち指導者は常に考えていかなければいけません。ただの根性論は、ようは「やるっきゃない」とか「やる気を出せ」とか「やる気がないなら帰れ」とか、はあんまり効果がないように思います。時に必要なときもなくはないかなってのが、現場の人間としての率直な意見ではありますが。
もう一つは、そんな生徒たちであっても、根性論がどうしよもないぐらい正論である事は、重々承知しているからです。とどのつまりは成績や勉強なんて「自分のやる気と努力次第」であることも、塾も学校も宿題もそれがなければ「たいした意味を成さない」ことも、その気になれば「自分はもっとできる」ことも、彼らはよく知っています。知っていることを真正面からぶつけても、彼らはそれを仏頂面で黙って聞いて、「んなことわかってるわウザいなぁ」ってTwitterで愚痴るのがオチです。
彼らが聞きたいのは「そんなことじゃない」んです。
でも何が聞きたいのかは「わからない」んです。
だからやる気がでないんです。
どうすりゃでるのかもわからない。
そんな彼らに、勉強をすべきだというどうしようもない既成事実に立ち向かえるまでの覚悟はなくて、「俺は勉強なんて欠片もしないぜ、これで生きてくから!」って言い切るだけの勇気も夢もなくて、でも「はん、なんだよハラショーだな」ってふてぶてしい態度をとって、時には地面に唾を吐く程度には反抗できるそんな彼らに、根性論という名のどうしようもない正論を真正面から突きつけても、僕はあんまり意味がないと思う。
根性論が効くのは、むしろ根性がある生徒に対してなように思います。
だって知ってますから。根性の力を。そりゃまぁ、ありますからね、根性が。
ない子には、少なくともその瞬間には、それはおそらく伝わらないであろうことをきちんと理解した上で、色んな方法を試してみるべきだと僕は思う。
時には甘えや弱さを認めてあげたり。
時には一緒になって正論に唾を吐いてみたり。
真剣に話を聞いて、言い分を聞いて、妥協できるところはして、熱く語るところは語って、論理的に解説して、理由を説明して、一緒に歩んで、引っ張って、たまに後ろから押してあげて。その手間を省くとき。根性論がお出ましします。だってそうでしょ?「いいから勉強しろ」とか、「とにかくやれ」とか、「自分に甘いんだよ」とか、「もっと努力しろ」とか。
相手の話や言い分を聞きたくないときにしか、そんな言葉はでやしない。
だから僕は、根性論しか言わない人間を信用しない。
その人はたぶん、僕の話を聞いていない人だから。
自分の子には、いないんでわかりませんけど、でもたぶん、根性論をぶつけがちになってしまうんだろうなと思います。だから僕らのような塾や、あるいは学校が大切なクッションになっているのかなと。他の習い事と違って、勉強は「誰もがやっている」ことです。日本では。ほぼほぼ。サッカーを習っている子は、習っている子同士の中では優劣はあるかもしれないけれど、でも少なくとも、「習っていない子」よりは上手になる。勉強はみんながやっているから、それがない。たとえ玄人から見れば素人に毛が生えたようなものでも、完璧な素人からは「へー、ギター弾けるんだ、凄いやん」といわれて、ドヤることもできる。勉強でそれをできるのって本当に一部じゃないですか。才能か根性か、とにかく勉強に関してはそういうのがあって、成績上位をとることが出来る子達。
そうじゃないたくさんの生徒たちは、一度躓いてしまえば、そこからの差は基本的には開くばかりで。そうなれば、劣等感やら無関心やら開き直りやらで、努力と根性はいつだかのアマテラスオオミカミみたいに暗闇にひっこんでしまう。皆やってるから。やってない人がいればドヤれるけど、皆やってるからそういうわけにもいかない(下級生とかにはできますけどね)。そうなってしまったら、いくら根性論という正当法で引っ張り出そうとしても、努力と根性は出てきてくれやしないんです。
じゃあどうするか。アマテラスの物語で他の神々がそうしたように、あの手この手を試してみるしか僕は無いと思うんです。その努力をしないといけないと思う。
根性論は、あくまでそのうちの一つだと思います。
時には、有効なときもあると思う。だから僕も、叱責とかもそうですけど、使うときはあります。
根性論はその正当性と事実性によって子供たちから毛嫌われると同時に、それらとその汎用性によって、彼らが「どうしようもない正論」を素直に解釈できるぐらい大人になったときに、『時計仕掛けのオレンジ』の主人公アレックスよろしく、自然と受け入れられるようになるのです。だから根性論は言っておいて損は無い。いつか絶対、「先生(お父さんお母さん)あの時ああ言われて、あんときはめっちゃウザかったけど、今は言ってる意味ほんまよーわかるわ」ってなりますから。絶対なる。残念ながら。
でも、それがどうしようもないぐらい「いつか」だったら困るから。
だから僕らは、ベストだと思うカリキュラムを考え抜いて、工夫の効いた授業をして、これやりゃ完璧って教材を作って、こう話せばわかってくれるかなってことを話すんです。
本気で、熱く、でもクールで、論理的に。
個別指導はそれがより細かく出来る。それぞれの生徒に合わせて、より柔軟に。
それが一番いいところだと僕は思っています。
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冬期講習が始まりました。
どんな塾よりも考え抜いて、準備して、打ち合わせして、用意した最高の講習だと、僕たちは自信を持って宣言します。
『ガチでマジでクール』
それが僕のモットーです。
熱くて、本気で、でもクールに。せっかくクールに生まれてきたんだから。
今回はそれを冬期講習のモットーにしました。
熱くて、本気で、でもクールに。
熱くならないとやってけないから、僕らの熱意を伝えましょう。
本気にならなきゃ乗り切れないから、僕らの本気を見せましょう。
根性だけじゃやってけないなら、クールな僕らと楽しみましょう。
ガチでマジでクールな冬を、ガチでマジでクールに行こう。
そしたらきっと根性も、いつの間にかついてくるから。
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個別指導Wam 庄内校(豊中・庄内の個別指導学習塾)
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校区:豊中六中、七中、庄内小、庄内南小、庄内西小、千成小、島田小など