こんにちは。岩出校です。
先日、ある講師が”学問の神様”を祀ってあることで有名な京都市上京区にある
北野天満宮に参拝しに行ってくれ、生徒の為に学業鉛筆を持ってきてくれました。
ところで何故、菅原道真公が神様となったのか
皆さんはご存知ですか??
道真公はもともと中流貴族の学者の家系の大変頭の良い人で、
天皇を中心とした理想の政治体系を作ろうとし、時の天皇、宇多天皇に重用されました。
次々と功績を重ね、実質閣僚ナンバー2の右大臣まで上り詰めました。
しかし、「家柄も身分も良くないくせに出世しやがって」と妬む人間や、
自分たちが実権を握りたい藤原氏、道真の改革に現在の生活水準の
低下を心配した中下級貴族が道真を蹴落とす算段を立てました。
宇多天皇の次に天皇になった醍醐天皇に、
「道真はあなたを天皇の座から引きずり下ろして、
前天皇の子供で自分の娘婿を天皇にしようとしてますよ」
と嘘をついたのです。
醍醐天皇は怒って、道真の弁明も聞かず左遷にしてしまい、
道真の子供のうち4人を島流しにしてしまいました。
道真は、左遷先の大宰府で故郷を思いながら、
醍醐天皇の「帰っておいで」という恩赦を待ち続けましたが、2年後、願いかなわず亡くなりました。
その後、京都では異変が相次ぎました。
まず、藤原時平の病死。醍醐天皇の息子で時平の甥の次期天皇の死亡。
急遽東宮に内定したその息子の死亡。
さらに、御所での朝の会議中、建物に落雷が落ちて、
道真左遷に関わったとされる朝廷の重要ポストにいた人たちに多数の死傷者が出ました。
「これはきっと、あらぬ疑いをかけられて陥れられた道真の怨念に違いない」
思い当たる節も多かったお偉いさんたちは、怨霊に殺されたく無い一心で、
道真の子供たちの島流しを解いて呼び戻し、
道真には名誉回復と高い地位を授与しました。
そして神様として祀ることで怒りを静めようと考えたのです。
雷に関係していることから、雷の神「天神」(火雷天神)と同一視されていますが、
優れた学者で頭が良かったことから、「学問の神様」ともされたのです。
長くなってしまいましたが、彼は悲しい人生を過ごしその死後に
神様と祀られるようになったのです。
生徒たちには、そんな精一杯人生を全うした道真公に
これから日々努力する姿を見守ってもらいたいと思います。
では、今日はこの辺で・・・。