こんにちは。個別指導Wam小宮町校の秋元です。
夏期講習39日目(あと4日)。今日は8月27日です。
今日8月27日は宮沢賢治の生誕日。
中学時代、国語の授業で「永訣の朝」を勉強しました。
妹が死の床で「あめゆじゅとてちてけんじゃ」と喘ぐように繰り返します。賢治はみぞれの降る庭に飛び出し、松の枝先からつめたいみぞれを茶碗に集めます。その時、賢治はこう思うのです。
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
この一節を忘れることができません。なぜか。恥ずかしい話ですが、中学生の私には「わたくしをいつしやうあかるくするために」という意味が分からなかったから。「一生明るくする?みぞれが飲みたかっただけじゃね?」
今はよくわかります。死を前にしてなお賢治を想う心根に目頭が熱くなります。人を想う深い心は、自分もそれを持とうとしたとき、初めて理解できるのかもしれません。
賢治も36歳の若さでなくなりました。死の前日、病を押して農民の相談ごとに乗った後、病状が悪化しなくなったのです。
「ちゃんと治してから相談に乗ってあげたほうが良かったんじゃないか。死んじゃったら、農民困るし」 そう思ったことも鮮明に覚えています。
なんて愚かだったのでしょう。仕方ありません。子供だったのですから。だから学習が必要だし、人の心を理解する様々な実体験が必要なのでしょう。
長くなりました。最後に、「永訣の朝」の授業で、中学生の私がもう一つ心に残ったことがあります。今ではとても嬉しく、誇らしいことでさえあります。賢治が生まれた8月27日は私の誕生日でもあるということです。
賢治は素晴らしい教師でもあったということを後に知りました。「賢治に少しは近づけたか?」 今日は自分を振り返る日でもあります。