教室ブログ

2014.12.03

あったかい冬

12月に入り、いよいよ冬って感じの空気になってきましたね。この身がキュッとするというか、この感じ、僕は嫌いじゃないです。寒いのは嫌いですけど笑 なんというか、心臓とか、肺とかが生きてるのがわかるというか。周りが寒いからですかね。体の内側の暖かさが感じられる気がするんです。そこに冷たい空気が吸い込まれて、暖かさと冷たさが交じり合ってるのがわかる気がする。気がするだけでしょうけど。

 

”Take for granted”(当たり前のことだと思う)という言い回しが英語にはありますけど、そういうことなんじゃないかなと。ふだん当たり前のように生活してて、自分の体とか、そういうのにあんまり特別な意識をもたないことがほとんどだけど、こういう季節になると、「あ、ちゃんと心臓うごいてるや」みたいな。あ、寒いのにがんばってくれてるんだなみたいな。おつかれさまですっていう(え、ぼくだけ?)。

 

ともあれ、当たり前だと思っていることに感謝の気持ちを抱くっていうのは、なかなか難しいことです。親とか、まさにそれです。僕には母親しかいないけれど、彼女は人生で一度も僕にそれを嘆かせたことはないですし、一度たりともそれを理由に僕を困らせたことはなかった。高校にも大学にも留学にも行かせてくれたし、したいと言ったことはほとんどさせてくれた。

 

一緒に過ごす時間は少なかったけれど、家はいつもきれいだったし、冷蔵庫をあければなんでもあった。10代の僕にとっては、それは当たり前のことでした。それがどれだけ「当たり前のことじゃなかったのか」は、20あたりになってやっとぼんやりとわかってきて、働き出して一人暮らしをはじめてから身にしみて分かるようになった。これで子供でもできようもんなら骨にしみてわかるんでしょうね。

 

この世で自分が「当たり前」だと思っていることのほとんどは、実は当たり前じゃない。
心臓に病気を持っている人もいれば、二の足で歩くことができない人もいれば、親がいない人もいれば。

 

でもそれってなかなかわかるものじゃない。子供なんかは「あ、またなんか耳の痛いキレイごといってるぞこいつ」ってなるのがオチでしょう。そゆもんなのでそれは仕方ないんです。だって彼らにとっては当たり前なんだから。それが当たり前じゃなくなって初めて、彼らはそれがどれだけ「当たり前じゃなかったか」がわかる。

 

つまり、大人になって初めて自分が子供だったことがわかるってことですね。

 

おもしろいのは、こういうのってこうやって後から後から上書きされていくところなんですよ。親のありがたさが物心がつきだしてからぼんやり分かってきて、一人暮らしして身にしみて分かってきて、子供ができたら骨にしみてわかるみたいに。高校に入って中学校のころの自分が子供だったな今はだいぶ大人になったなって思って、大学に入ってから、そんなこと思ってた高校のときの俺めっちゃガキだったわ最近はやっと大人になってきたけどなって思って、働き出してからまた「いやいや大学のときの俺なんもわかってねぇわ」ってなる。きっと5年後の僕は、このブログを見て顔を真っ赤にして「ガキが何を偉そうに」って思うことでしょう。

 

自分がいつまで子供で、いつ大人になったかは、こうやって事後的に決まるし、それは随時上書きされていく。なにがいいたいかというと、今彼らに言って「何をきれいごとを、ペッ」ってつばを吐かれるような事が、いつか「あの時あの人が言ってたことって、こういうことだったんだ。あの時は分からなかったけど、言ってくれてよかったよ先生」って上書き保存されるんだってことです。

 

最近、「ブログを読んでます」っていう声を生徒や保護者さんからいただくことがあります。とてもありがたいです。

言葉を発するとか、直接でも動画でもブログでも何でも、何かを伝えそのために行動するっていうのは、まさにこの「事後的な上書き保存」のサイクルに誰かを巻き込むってことだと思うんです。

 

書く前はぼんやりとしか決まっていないけど、書きだして初めて書きたいことが具体的に浮かんでくるし、読む人がいて初めてそのメッセージがどういう意味を持っていたのかが分かる。メッセージは発せられて初めてメッセージになるんです。当たり前ですけど。そしてそのメッセージは読む人がいて初めて「メッセージ性を持ったメッセージ」になる。

 

書く前から、伝わる前からそれが誰にどういう風に影響して、それによってどんないいことがあるか、なんて分かりようがない。塾生や保護者の人に届くかもしれないし、まだあったことのない人に届くかもしれないし、大阪の庄内の人に届くのかもしれないし、東京にお住まいのネットサーフィンしてる主婦に届くかもしれない。

 

そしてそのメッセージのメッセージ性ってのは、読者によって決められるわけです。「いいことかいてるなぁこの人」ってなってくれたらうれしいけれど、「こんなわけのわからんこと言ってるやつの塾になんかいかせるもんか、へんっ」ってなるかもしれない。

 

そう考えるとなかなか怖いもんです。
怖ければどうするか。

黙るしかない。

 

僕はこれは一番いけないと思う。
もったいないというか、悲しいというか、なんというか。

でもわかるでしょ?

 

だめですって、そんなん。
そんなかっこ悪いことしちゃだめなんですよ。

なんか持ってるから伝えるんでしょ?伝えたいことが何かしらあるから書くんでしょ?

 

じゃあ伝えるべきなんですよ。何が何でも。

 

それがその後だれにどう伝わって、どう影響して、どんな風に返ってくるか。それによってそのメッセージは評価され、価値が生まれるんです。なんのメッセージ性もない、誰に向けてるかも分からない当たり障りのないことなんて、言ってても黙ってるのと一緒なんですよ。

 

生徒と接するとき、なるべく僕は彼らの味方でいたい。支えてあげたい。つらいときや逃げたいときは受け止めてあげるし、慰めるし、元気になってほしい。でも、たとえ今はつばを吐かれるようなことでも、伝えなきゃいけないことは伝えるんです。
それがいつか上書き保存されて、ああいってくれる人がいてよかったなって思ってくれるようなことは、たとえその場でボロカス言われるようなことでも伝えないといけないんですよ。

 

何かを伝えるっていうのは、そういうことじゃないですか。いつ、誰に、どう影響するかは分からない、メッセージの解釈も、年月と共に上書き保存で変化していくんです。でも伝えないことにはそのサイクルは始まらない。

 

いつだかブログで話した「子供の問い」じゃないですけど( http://blog.k-wam.jp/2014/10/19/205054.php )、「この人はこんなことを必死になって言ってるけど、それで結局のところ何を伝えたいのさ。」っていう問いを持たせることが、メッセージの大切な役割なんです。

 

勉強にも当てはまる部分はあるでしょう。勉強したらどんないいことがあるとか、それがどういう風に影響するかとか、誰が幸せになるかなんて、そんなの勉強する前に分かるわけないんですし。がんばってもうまくいかなかったり、がんばったのに失敗したり、挫折したり、がんばってるだけなのに周りが認めてくれなかったり、「なんだあいつ勉強なんかしやがって、ハラショーだな」なんてはやし立てられたり。そもそもがんばってなんの役に立つのかも分からない。

 

怖いですよね。いやだし、つらいし。

でも、そういうもんなんです。

 

なんで勉強しないといけないのかなんか、わかるわけないんですから。分かったとしてもぼんやりしか分からない。それでいいんです。それをいつか「それぞれの大人」になったときに、上書き保存していけばいいんです。

 

ほら、勉強するのは皆さんにとって「当たり前」でしょ?ってことは、そう。最初にいいましたよね?当たり前の間は、それがどれだけ「当たり前のことじゃない」かは、わからないんです。勉強できるということがどれだけ恵まれていて、感謝すべきことなのか、それはいつか皆にとって勉強が当たり前じゃなくなったときに初めてわかる。親や先生たちがこんなふうに「勉強勉強!」とガミガミ言うのは、皆それがわかってるからなんです。

 

だから生徒の皆さん、それは大目に見てあげてください。だって大人は「したくてもできない」から、それができるみんなに希望を託してるんです。当たり前だったことが当たり前じゃなくなったからこそ、今当たり前にできる環境にいる皆をなんとか応援したいと思ってくれてるんです。お父さんお母さんは。

 

これを読んで感動感激して勉強に精を出してくれるお子さんはなかなかいないでしょう。中学生のころの僕がこれを読んでも、「は、何ショーもないこと言ってんだか。親?知るかよんなもん」って吐き捨ててることでしょう。いや、ほんとに。こういうのだいっ嫌いな子供でしたから。

 

でも、それでも伝えます。今みんなにつばを吐かれても。
いつかふと、「あぁ。こんなことあの人ブログで言ってたな。うん。そゆことか。」

って思ってほしいんで。そういう人間で僕はいたい。

 

思い出して「あの人ええ人やったしおもろかったなぁ」だけの当たり障りない大人ではいたくない。それも大事ですけどね。大事だけど、僕は教育者としてそれじゃ納得できない。だっていつかその子たちが大きくなったら、分かるじゃないですか。化けの皮じゃないけど、子供のときに接してた大人がどんな人間だったのかって。それこそ上書き保存されちゃう。そのときにやっぱ上方修正されたいですよね笑。あぁ、あのにーちゃんたいしたことなかったな、にはなんとしてもなりたくない笑

 

だから伝えます。いつか、きっといつか届くと信じて。
その情熱を胸に、僕はいつだって皆と接しています。

冬ってたぶん、そういうためにあるんじゃないかな。

 

「普段は気づかないだろうけど、君ってこんな熱いハート持ってるんだよ。これだけ寒かったら分かるでしょ?」的なね。

だから季節って変わるんでしょうね。それで風邪とか引くじゃないですか。季節の変わり目って。定期的に教えてくれてるんですよ、ちゃんと身体に気を配ってないとダメなんだぞーってね。

 

しかもいつかは明けるでしょ?いつか厳しい寒さも過ぎ去って、春が来る。

 

だから僕は大好きですよ、冬。

 

ちなみに庄内校はクリスマスも開いています。もちろん。ほんとに。

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