「平成の三四郎」の異名を取る古賀稔彦さんのお話です。
1992年のバルセロナオリンピック柔道男子71kg級では
直前に左膝を負傷するという逆境を乗り越え、見事に金メダルを
獲得した人です。
しかし、男子柔道71キロ級の日本代表として出場した1988年
のソウルオリンピックは、優勝候補と目されていたが、まさかの
3回戦の敗退。
古賀さんは、ある日のこと、何気なくつけていたテレビを見ていました。
テレビの画面に、オリンピックの総集編が流れ始めました。
番組では華々しく活躍する選手たちの映像とともに、惨敗だった
日本柔道の特集も組まれており、3回戦で敗退した古賀さんの試合も
映し出されました。
ところが次の瞬間、画面に釘づけになりました。
なぜなら試合に負けた直後、カメラが観客席で応援していた古賀さんの
両親を映したからです。
おもむろに立ち上がった古賀さんの両親は試合会場を背にすると、
日本から応援に駆けつけてくれていた人たちに向かって、期待に
応えられなかった古賀さんの代わりに深々と頭を下げていました。
久しぶりに見た両親が謝っている姿に古賀さんは大きなショックを
受けました。
心の変化はそれにとどまらず、いまの自分が無性に恥ずかしく思えて
きました。
それまでは、
「おれが練習して、おれが強くなって、
おれがオリンピックに行って、
おれが負けて、おれが一番悔しいんだ」
と思っていました。
ところが両親の姿を見ているうちに、闘っていたのは自分一人では
なかったことに古賀さんは気づいたのです。
すると驚いたことに次々と自分をサポート、応援してくれた人たちの
顔が浮かんできました。
例えばオリンピックに向けて、練習相手になってくれた仲間。
彼らは試合に出られないのに、古賀さんのために何度も受け身を取って
くれました。
しかし、当時の古賀さんはそれが当たり前のこととしか受け止められま
せんでした。
ところがこうして少しずつ周りが見えてきたことで、古賀さんは自分の後ろ
にはこんなにもたくさんの人たちが一緒に闘ってくれている、だから安心
して闘っていいのだと思えるようになりました。
そしてこれを機に、それまでの自分が嘘のように前向きになることができ
ました。
この時に抱いたこの思いこそが、4年後のバルセロナオリンピックにおいて、
怪我で苦しみながらも金メダルを獲得することができた大きな原動力になった
とのことです。
皆さんも、周りに自分を支えていただいている人がいることに気づき
感謝の気持ちを忘れないようにしましょう!
〒559-0015 大阪市住之江区南加賀屋3-8-26
個別指導Wam 南加賀屋校 教室長 藤堂貴夫